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日本人宇宙飛行士の一覧


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日本人宇宙飛行士の一覧の概要

日本人の宇宙飛行士について調べてまとめてみました。

日本人で最初に宇宙に行った人物は、1990年12月2日に旧ソ連のソユーズ宇宙船でミール宇宙ステーションに滞在したTBS記者の秋山豊寛氏で、 公的に宇宙へ行った飛行士は1992年9月にアメリカのスペースシャトル「エンデバー」で宇宙へと向かった毛利衛氏となっています

日系アメリカ人宇宙飛行士には1985年と1986年にスペースシャトルで宇宙へと向かったエリソン・オニヅカがおり、 ポンキッキーズ のキャラクターであるガチャピンも1998年にロシアのソユーズで宇宙に向かいましたが、通信状態が悪く宇宙から映像が送れないというアクシデントに見舞われました。
 
 
 
 
 
 
 
日本人宇宙飛行士の一覧
名称 説明
秋山豊寛 初めて宇宙へ行った日本人であり、世界で初めて商業宇宙飛行をを行った民間人でもあります。

秋山豊寛はTBSの社員として旧ソ連の宇宙飛行士訓練(ソビエト連邦第3級宇宙飛行士)を受け、 1990年12月2日にソユーズ(ミッション名はソユーズTM-11, ソユーズTM-10)で宇宙ステーションミールに滞在しました。

ミール滞在中には宇宙飛行士として受けたミッションのカエルを用いた実験や、宇宙からの放送実験、睡眠実験などを行いました。
毛利衛 日本人2人目の宇宙飛行士で、アメリカのスペースシャトルエンデバーで実験などを行いました。

スペースシャトルエンデバーには2回搭乗し、1回目は1992年9月12日に(ミッション名STS-47)科学技術者として、 2回目は2000年2月11日に(ミッション名STS-99)運用技術者としてそれぞれ作業を行いました。
向井千秋 日本人初の女性飛行士で、1994年7月8日にスペースシャトルコロンビアに搭乗(ミッション名STS-65)、 また1998年10月29日にもスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-95)し、金魚の宇宙酔いなどの実験を行いました。

向井千秋は医者でもあり、1981年に入院した石原裕次郎の担当医も勤めました。
若田光一 1996年1月11日にスペースシャトルエンデバーに搭乗(ミッション名STS-72)し、日本人宇宙飛行士初の ミッションスペシャリスト(スペースシャトル自体を運用する職務)として参加し、ロボットアームを操作し観測機の回収などを行いました。

2000年10月11日にはスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-92)し、国際宇宙ステーション(ISS)の組み立てなどを行いました。

2009年3月16日にはスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-119)し、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在し、 日本の実験棟「きぼう」の船外実験施設の取り付けなどを行いました。
土井隆雄 1997年11月19日にはスペースシャトルコロンビアに搭乗(ミッション名STS-87)し、日本人宇宙飛行士初の宇宙船外活動を行い、 「国際宇宙ステーション(ISS)」建設のチェックなどを行いました。

2008年3月11日にはスペースシャトルエンデバーに搭乗(ミッション名STS-123)し、「国際宇宙ステーション(ISS)」に設置する 日本の実験棟「きぼう」の船内保管室の仮設などを行いました。

土井隆雄は天文家でもあり、2002年と2007年には超新星を発見したりしています。
野口聡一 2005年7月26日にスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-114)し、ミッションスペシャリストとして船外活動などを行いました。

また2009年12月20日にはロシアの宇宙船ソユーズに搭乗(ミッション名TMA-17)し、国際宇宙ステーションに5ヶ月ほど滞在しました。
国際宇宙ステーション滞在中にはTwitterを使い情報や画像を配信しました。
星出彰彦 2008年5月31日にスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-124)し、国際宇宙ステーション(ISS)に 日本の実験棟「きぼう」をロボットアームで取り付ける作業を行いました。
星出彰彦は国際宇宙ステーションのロボットアームを操作した始めての日本人宇宙飛行士となり、 実験棟の設置に成功しました。

2009年11月には国際宇宙ステーション長期滞在者としてJAXAに選出され、2012年7月15日にソユーズTMA-05Mで打ち上げられ、 125日間の滞在と3回の船外活動を行い、2012年11月19日に無事帰還しました。
山崎直子 日本人女性で2番目の宇宙飛行士で、2010年4月5日にスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-131)し、 国際宇宙ステーション(ISS)に機材や物資を運び、4月20日にケネディ宇宙センターに帰還しました。

このミッションでは物資の移送責任者として物資の管理や作業の指揮を担当し、 機体の点検や、多目的補給モジュール「レオナルド」のスペースシャトルから国際宇宙ステーションへの移動と搬入などを行いました。





古川聡 2011年6月8日にロシアの宇宙船ソユーズに搭乗(ミッション名TMA-02M)し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヵ月半の長期滞在し、 2011年11月22日に帰還しました。

国際宇宙ステーション滞在中は、「きぼう」での実験や国際宇宙ステーションの維持管理作業を行うほか、 最後のスペースシャトルミッションとなったSTS-135ミッションの支援などを行いました。
油井亀美也 2等空佐の元自衛官でF-15戦闘機のパイロットやテストパイロットなどを務めていた経歴の持ち主で、 2011年7月に訓練が終了しJAXAの宇宙飛行士となりました。
なお、油井亀美也は自衛官出身で始めての宇宙飛行士となっています。

2015年7月23日にロシアのバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で打ち上げられ、 2015年12月まで国際宇宙ステーションの「きぼう」で様々な実験やステーションの運用作業を行います。
大西卓哉 宇宙航空研究開発機構(JAXA)第31期宇宙飛行士訓練生で、訓練終了後宇宙飛行士になる予定です。(平成23年7月25日付けでISS搭乗宇宙飛行士として認定しました。)

元全日空の副操縦士で、ボーイング767などに搭乗していました。
金井宣茂 宇宙航空研究開発機構(JAXA)第31期宇宙飛行士訓練生の補欠要員で、のちに追加要員とされ正式に訓練生となりました。(平成23年7月25日付けでISS搭乗宇宙飛行士として認定しました。)

元自衛官で、医療活動などを行っていました。
エリソン・オニヅカ 鬼塚 承次(Ellison Shoji Onizuka)

日系アメリカ人で初のアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士です。

1985年1月24日にスペースシャトルディスカバリーに搭乗運用技術者として搭乗(ミッション名STS-51-C)、 また1986年1月28日にスペースシャトルチャレンジャー号に搭乗(ミッション名STS-51-L)しましたが、 打ち上げの際の爆発(チャレンジャー号爆発事故)により亡くなりました。
ダニエル・タニ Daniel Michio Tani
日系三世のアメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士です。

2001年12月5日にスペースシャトルエンデバーに搭乗(ミッション名STS-108)し、国際宇宙ステーション(ISS)に物資の補給とメンテナンスを行いました。

また、2007年10月23日にはスペースシャトルディスカバリーに搭乗(ミッション名STS-120)し、 国際宇宙ステーション(ISS)の組み立てを行い、国際宇宙ステーションに2ヶ月以上滞在しました。
ガチャピン 1998年8月13日に打ち上げられたロシアのソユーズ(ミッション名はソユーズTM-28、コールサインは"アルタイール")により、 宇宙ステーションミールに8月15日から8月20日までの5日間滞在しました。

宇宙ステーションミールに滞在したガチャピンはポンキッキーズの「ガチャピン宇宙へ」などの企画で 地球と交信を行うはずでしたが、通信の状態が悪く映像を伝送できませんでした。
 

 




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