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世界の独裁者の一覧


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世界の独裁者の一覧の概要

独裁者と呼ばれる世界各国の大統領や首相などの指導者一覧です。

独裁者とは軍事政権、一党制度(一党独裁制)、個人的に独裁政治を行う支配者で、 外国からは独裁者と呼ばれることがありますが、国民からは支持を受けている人物も多く居ます。

独裁者の名称は古代ローマにおいて強大な権限を持っていた政務官である、「独裁官」から来ています。

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世界の独裁者の一覧
名称 説明
ヨシフ・スターリン ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ(Joseph Stalin)

ソビエト連邦第2代最高指導者であるソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めました。
ソビエト連邦の権力を掌握後はソビエト連邦共産党内敵対する派閥や反革命的とみなされた者を数多く粛清及び処刑しました。
ポル・ポト Pol Pot(本名:サロット・サル Saloth Sar)

カンボジア共産党書記長で、1975年から1979年にかけてカンボジア(民主カンプチア)の首相を務めていました。
首相に就任後粛清や「原始共産主義社会」を目指し国家の大改造を行い、知識階級や宗教の弾圧、飢餓や伝染病の蔓延などにより100万~300万人の犠牲者を出したとされています。
アドルフ・ヒトラー Adolf Hitler

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)党首で1933年から1945年にかけてドイツ国の首相を務めました。

首相就任後は他の政党や敵対勢力を弾圧し、人種主義思想などから障碍者(障害者)やユダヤ人の迫害・弾圧を行い、600万人もの犠牲者を出したとされています。
また、ポーランドを侵攻し第二次世界大戦のきっかけも引き起こしました。
毛沢東 もう・たくとう

中華人民共和国の初代国家主席で、中国共産党の設立者の一人でもあります。
国家主席就任後は敵対勢力の粛清や、反対意見を述べる知識人を弾圧・投獄しました。
また、農工業の大増産政策である「大躍進政策」で2000万から3000万の犠牲者を出し、「文化大革命」では知識人や人民の弾圧により死者40万人、合計1億人ともいわれる被害者を出しています。
金正日 キム・ジョンイル、김정일

金日成の息子で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第2代最高指導者、第2代国防委員会委員長、第2代朝鮮人民軍最高司令官、第2代中央委員会総書記などの役職を務めていました。

北朝鮮では圧政を敷き国民が飢餓状態にある中でも、核やミサイルなどの軍事開発を行い自身は裕福な生活をしていたとされています。

金正日は2011年12月17日に亡くなり、後継者には息子の金正恩が就任しました。

年度世界の独裁者ランキングでは1位にランキングしたこともあります。
金日成 キム・イルソン、김일성

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の初代最高指導者、初代国家主席、初代内閣首相、初代朝鮮人民軍最高司令官、初代中央委員会総書記などの役職を務めていました。

金日成は第二次世界大戦後に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を建国し、1994年に亡くなるまで同国の最高指導者の地位にあり、国家・党・軍を掌握していました。
サッダーム・フセイン サッダーム・フセイン(サダム・フセイン:Saddam Hussein)

イラク共和国第三共和政第2代大統領で、首相でもありました。
サッダーム・フセインは「イラク戦争」終結後にアメリカ軍により逮捕され2006年12月30日に死刑となりました。

サッダーム・フセイン政権時には、治安機関により反体制的な言動が常に監視され、違反した者や疑われたものには拷問や弾圧があったとされ、 フセイン政権下で29万人が行方不明または殺害されたとされています。
カダフィー大佐 ムアンマル・アル=カッザーフィー(Muammar Muhammad Abu Minyar Gaddafi)

リビア・アラブ共和国(大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国)の革命指導評議会議長(国家元首)で、実質的な最高指導者でした。

カダフィーは1969年9月1日にクーデターにより政権を奪取し、革命指導評議会議長となりましたが1979年に辞任し、 公職からは退いたものの実質的にリビアの最高権力者として君臨しました。

2011年リビア内戦により政権は崩壊し、10月20日に殺害されました。
イディ・アミン イディ・アミン・ダダ・オウメ(Idi Amin Dada Oumee)

ウガンダの軍人で、後にウガンダ第3代大統領に就任しました。また、ヘビー級チャンピオンでもありました。

アミンは1971年1月にクーデターで権力を掌握し、ウガンダに独裁体制を敷ました。
アミン統治時代にはインド系のアジア人を排斥したり、自国民を30~40万人虐殺したと言われ「黒いヒトラー」「人食い大統領」などとも呼ばれました。

後に反体制派に破れ失脚しサウジアラビアに亡命。2003年に亡くなりました。
朱元璋 しゅ げんしょう

中国の明朝の初代皇帝で、1368年から1398年にかけて皇帝の地位にありました。

皇帝に即位後は、商人の私財の没収や強制移住、「文字の獄」(光・禿・僧・盗・道・則・賊)などの文字を使用しただけで処刑)や「空印事件」などで大規模な粛清を行いました。
李承晩 イ・スンマン

大韓民国の第1~3代大統領です。

大統領就任後には二期までとなっていた大統領の任期を三期に変更を行ったり、野党議員の不当逮捕、対立候補や政敵の処刑などを行いました。
また、「居昌事件」、「保導連盟事件」などで政治犯やスパイと疑われていた者や民間人などを数十万人処刑したとされています。
フランシスコ・フランコ フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(Francisco Franco y Bahamonde)

スペインの軍人でスペイン内戦を反乱軍として指揮し、後にスペイン国第68代首相や総統として国家元首に就任しました。

フランシスコ・フランコはファランヘ党の党首となり、この当時のスペインの政党はファランヘ党のみで有ったことから独裁体制となり30年以上国家元首の地位を維持しました。

フランコは1975年に83歳で亡くなり、後継者にはフランコを指名しました。なお、内戦及びフランシスコ・フランコ政権中に10万人以上の市民が死亡及び行方不明になったとされ現在調査が行われています。





アントニオ・サラザール アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール(António de Oliveira Salazar)

ポルトガル共和国第101代首相およびポルトガル共和国大統領で、エスタド・ノヴォと呼ばれる独裁政治を行い、反対派などには秘密警察を利用し始末していました。

アントニオ・サラザールは1970年に死亡し、エスタド・ノヴォは1974年のカーネーション革命によって倒されました。
レオポルドⅡ世 Léopold II

第2代ベルギー国王で、コンゴ自由国を建設し実質的支配者となりました。
コンゴ自由国では住民にゴムの原料採集の労働を課し、ノルマが達成できないと手足を切り落とすなどの行為を行い、 レオポルドⅡ世支配中のコンゴ自由国では数百万から数千万の住民が犠牲になったと言われています。
アルフレド・ストロエスネル Alfredo Stroessner

パラグアイ共和国第31代大統領で8期35年間に渡り独裁政治を行いました。

大統領就任中には共産党の非合法化、新聞の自由の制限などを行い、この間に処刑や拷問により命を落とした者は1000人に上るとされています。

アルフレド・ストロエスネルは1989年にクーデターにより失脚しブラジルに逃亡、2006年8月に肺炎などの症状で亡くなりました。
フランソワ・デュヴァリエ François Duvalier

ハイチの第32代大統領で、1964年から終身大統領となりました。
大統領就任後は、軍の指導者の失脚や粛清、反対政党の非合法化、憲法の停止などを行い、個人崇拝を強めたり、国家の資金の横領や収賄などを行い政治が腐敗しました。

フランソワ・デュヴァリエは1971年1月に心臓病で亡くなりました。
サパルムラト・ニヤゾフ サパルムラト・アタイェヴィッチ・ニヤゾフ(Saparmyrat Ataýewiç Nyýazow)

トルクメニスタン初代大統領で、終身大統領となり自身を神格化し個人崇拝を押し進めていました。
ニヤゾフは2006年12月21日に心臓病で急死しましたが、世襲体制をしくことはありませんでした。

ニヤゾフは独特の政策を行い、代表的なものに以下があります。
  • 首都と大学を除く図書館の廃止(「田舎の人はどちらにしても本など読まないのだから」という見解による)
  • オペラ、バレエ、軽演劇、サーカスの上演を禁止
  • 8月の第2日曜日をメロンの日に制定(ヤニゾフの大好物がメロンであるため)
  • 首都ではほぼ50メートルごとに、ニヤゾフ大統領の肖像や銅像を設置
  • 過去10年間に外国の大学で取得された卒業証書を全て無効化
  • 口パクで歌うことを禁止
  • 若者のヒゲ・長髪を禁止
  • 首都を除く地方の病院を閉鎖
  • 金歯を禁止
  • トルクメニスタン国内では煙草は禁止
  • 年金廃止
  • テレビのニュースキャスターの化粧禁止
  • インターネットの利用を禁止
グルバングル・ベルディムハメドフ グルバングル・マリクグルイェヴィチ・ベルディムハメドフ(Gurbanguly Mälikgulyýewiç Berdimuhammedow)

トルクメニスタンの第2代大統領で、前大統領ニヤゾフの死去後大統領代行となり、2007年2月の大統領選挙を経て大統領となりました。

グルバングル・ベルディムハメドフはトルクメニスタン民主党議長であり、トルクメニスタンは事実上の一党独裁制であること等から、 2010年の独裁者ランキングで5位にランクインしています。
スハルト Haji Muhammad Soeharto

インドネシア共和国第2代大統領で、共産主義者・民主運動家・マスコミなどに大して弾圧などを行いました。
また政府の要職に子飼いの者を任命したり、親族や懇意の者に極端な利益提供を行い政権が腐敗し、辞任要求に屈して大統領を辞任しました。
燕山君 ヨンサングン、エンザンクン

李氏朝鮮の第10代国王で、官僚に対する粛清事件や、全土から女性を集め遊興に興じそれを諫言する家臣を次々に処刑を行いました。
後にクーデターにより失脚し、王位を剥奪され配流されました。
ベニート・ムッソリーニ ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニ(Benito Amilcare Andrea Mussolini)

第40代イタリア王国首相で、初代イタリア王国国家統領です。

ファシスト党(全国ファシスタ党)を率い大統領に就任後、共産党などを弾圧しました。
第二次世界大戦敗戦後は失脚し戦争責任を追及され、パルチザンにつかまり処刑されています。
ニコラエ・チャウシェスク Nicolae Ceaușescu
ルーマニア社会主義共和国初代大統領で、第10代ルーマニア共産党書記長でもあります。

政策には国民をふやす目的での「堕胎と離婚の禁止」や、西側諸国からの累積債務返済のための飢餓輸出などを行い国内が疲弊し飢餓状態になりました。
その後もブカレストに巨大な宮殿「国民の館」を建造したり、親族が国家の要職を独占するなどしたため国民からの支持を失い、ルーマニア革命後に公開処刑に処されました。
ロバート・ムガベ Robert Gabriel Mugabe
ジンバブエ初代首相で、ジンバブエ2代目大統領でもあります。

大統領就任後は、政策の失敗から16万%以上にもなるインフレを招き、失業率増加や伝染病の蔓延を引き起こし、経済は崩壊しました。

後に選挙を行いますが選挙結果を公表しない、国内の約700万人の国民が飢餓状態にあっても豪華な住宅購入やパーティーを行うなどしています。
オマル・アル=バシール
オマール・ハッサン
オマル・ハサン・アフマド・アル=バシール(Omar Hasan Ahmad al-Bashīr)

スーダン共和国第6代大統領で、1989年の軍事クーデターにより政権を掌握しました。
政権掌握後は政党や労働組合に禁止、議会の解散などを行いました。また、内戦を引き起こし200万人の犠牲者をだしたり、数万人の国民を虐殺したりしました。

これらの行為により、ワシントンポストの「世界最悪の独裁者ランキング」にて2005年から2007年にかけて、独裁者ランキング1位となりました。
タン・シュエ Than Shwe
ミャンマーの軍人で、ミャンマー連邦第11代首相で、国家法秩序回復評議会議長、国防相、国軍最高司令官なども務めました。

民主化勢力や少数民族を弾圧したり、ジャーナリストの拘留や監視を行っているため、ワシントンポストの「世界最悪の独裁者ランキング」にて 2008年のランキングで3位となりました。
胡錦濤 胡 錦濤(こ きんとう、フー・チンタオ)

中国の政治家で中華人民共和国第6代国家主席です。

中華人民共和国は実質中国共産党の一党独裁体制であり、マスメディア統制、インターネットの監視、政治犯等の強制収用、 チベットやウイグルなどの少数民族の弾圧などを行っていることから独裁者とされ、 ワシントンポストの「世界最悪の独裁者ランキング」にて近年連続してランクインしています。
モハメド・シアド・バーレ モハメド・シアド・バーレ(Mohammed Siad Barre)

ソマリアの軍人で、ソマリア第3代大統領でもあります。

1969年にクーデターで大統領に就任後、自信を議長とする最高革命評議会を設立し憲法を停止させました。
また国の近代化と中央集権化を強引に行い、反対者の処刑や粛清もおこないました。

後にエチオピアとのオガデン戦争敗北により失脚しナイジェリアに亡命、1995年1月2日に心臓発作で死亡しました。
エーリッヒ・ホーネッカー エーリッヒ・ホーネッカー(Erich Honecker)

ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の政治家で、 ドイツ民主共和国第3代国家評議会議長(国家元首)です。

ドイツ社会主義統一党の党首である書記長でもあり、ドイツ民主共和国はドイツ社会主義統一党による実質的な独裁体制であったため独裁者であるとされています。

国家評議会議長時にはベルリンの壁を越えようとした合計192人の国民を殺害したり、国民が貧しい生活をしていた中で高級住宅・別荘や高級車などを多く所持していたといわれています。

東欧革命勃発後、その影響を浮けた抗議活動などにより失脚し、チリに亡命し1994年に肝臓がんで死亡しました。
アウグスト・ピノチェト アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte)

チリの軍人で1973年9月にクーデターを起こし、軍事評議会の議長となり後の1974年6月にアメリカなどの後押しも有りチリ共和国第30代大統領に就任しました。

クーデター後には左翼系政党の人民連合の市民などを虐殺、また大統領就任後の独裁政権中には数千から数十万の国民が弾圧や投獄されました。

1988年10月に行われたピノチェトの任期を延長する是非を問う国民投票の結果をきっかけに大統領を辞任し失脚しました。
ゴ・ディン・ジエム ゴ・ディン・ジエム(Ngô Ðình Diệm、呉廷琰)

ベトナム国の初代首相で、ベトナム共和国初代大統領でもあります。

1954年に首相に就任、翌年には大統領に就任し、アメリカのバックアップなどにより共産党や左派勢力を弾圧。 また、ゴ・ディン・ジエムはキリスト教カトリック信者であることからカトリック信者を優遇し、それに反対した仏教徒も弾圧しました。

ゴ・ディン・ジエムは後の1963年に発生したクーデターにより暗殺されました。
イスラム・カリモフ イスラム・アブドゥガニエヴィッチ・カリモフ(Islam Abduganievich Karimov)

ウズベキスタン共和国の初代大統領です。

1990年3月にウズベク・ソビエト社会主義共和国大統領、1991年12月にウズベキスタン共和国大統領となり2012年現在も大統領となっており、 反対派や野党党員の弾圧などを行い、メディアを支配下においています。

2005年5月13日にはアンディジャン市で発生した反政府デモを武力で鎮圧し、市民に多数の死傷者が出たとされています。
パルヴェーズ・ムシャラフ パルヴェーズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)

パキスタン・イスラム共和国の第10代大統領で、1999年10月12日に無血クーデターを行い首相である行政長官に就任し、 後の2001年6月20日に大統領となりました。

パキスタンの実権を握った後には国会および州議会の解散や、大統領の再選に伴う非常事態宣言の発令や憲法の停止などを行いました。

2008年には反ムシャラフ派による弾劾が行われようとしたため、同年8月に大統領を辞任しイギリスに脱出しました。
イサイアス・アフェウェルキ イサイアス・アフェウェルキ(Isaias Afewerki)

エリトリア国初代大統領で民主正義人民戦線書記長でもあります。

大統領就任後は憲法の停止、大統領選挙・議会選挙の無期延期などとなっており、 これらの行為により2010年の独裁者ランキングで6位にランクインしています。

また、エリトリア国は政党である民主正義人民戦線による一党独裁国家となっています。
ハーフィズ・アル=アサド ハーフィズ・アル=アサド(Hāfiz al-Asad)

シリア・アラブ共和国第4代大統領で、1971年の国民投票により大統領に選出されました。

シリアは実質バアス党による一党独裁体制で有ったため、独裁者として認識されています。

2000年6月10日に心臓発作により他界し、後継者には次男のバッシャール・アル=アサドが就任しました。
バッシャール・アル=アサド バッシャール・アル=アサド(Bashshār al-Asad)

シリア・アラブ共和国第5代大統領で、2000年6月に父であるハーフィズ・アル=アサドが死去したことにより、同年7月に大統領に就任しました。

シリアは実質的にバアス党による一党独裁体制で、大統領は軍の最高司令官であり再選制限も無く緊急時の立法権限もあることから、 バッシャール・アル=アサドは独裁者とされ、2010年の独裁者ランキングで12位にランクインしています。
マシアス・ンゲマ フランシスコ・マシアス・ンゲマ(Francisco Macías Nguema)

赤道ギニア共和国初代大統領で、1968年に大統領に就任しました。
マシアス・ンゲマは、テオドロ・オビアン・ンゲマの叔父でもあります。

大統領就任後は野党を禁止し、自身の率いる労働国民統一党により一党独裁体制をしき、 反対派の国民の粛清などの恐怖政治を行いました。
マシアス・ンゲマの政権時には国民の3分の1が国外に逃亡や亡命をしたといわれています。

1979年には甥であるテオドロ・オビアン・ンゲマのクーデターにより処刑されました。
テオドロ・オビアン・ンゲマ テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ(Teodoro Obiang Nguema Mbasogo)

赤道ギニア共和国第2代大統領で、1979年8月に叔父のマシアス・ンゲマ大統領の独裁政権をクーデターにより倒しました。

大統領就任後は独裁政権をしき、2012年現在最長の政権を維持する政治家です。

赤道ギニア共和国は実質、自身の率いる赤道ギニア民主党による一党独裁体制であるためなどにより、 2010年の独裁者ランキングで14位にランクインしています。
ムスワティ3世 マコセティブ・ムスワティ3世(Makhosetive Mswati III)

スワジランドの第8代国王で、アフリカ最後の絶対君主(統治の全権能を持っている君主)です。

国民の多数が貧困層である中、国家予算の2%以上を使用し、自家用高級車やセスナ機、13人の妻への宮殿の建設、海外での浪費などを行っています。

また数万人の未婚で子供の居ない女性が参加するリードダンスを行い、その中から毎年妻を娶っています。
メンギスツ・ハイレ・マリアム メンギスツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam)

エチオピア人民民主共和国の初代大統領で、クーデターにより1987年に大統領に就任しました。

クーデター時から大統領就にかけて反対派などを数十万人粛清し、内戦なども含め約100万人の難民を発生させました。
当時のエチオピアは、自身の率いるエチオピア労働者党のみが合法政党であったため、一党独裁国家となっていました。

1991年には反対勢力との内戦によりジンバブエに亡命しました。
アレクサンドル・ルカシェンコ アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ルカシェンコ(Aleksandr Grigor'evich Lukashenko)

ベラルーシ共和国の初代大統領で、初代最高国家評議会議長なども務めています。
1994年の大統領選挙で当選し、後に憲法の3選禁止を撤廃、2010年12月の大統領選挙にも勝利し4選を果たしました。

ルカシェンコは2010年の独裁者ランキングで22位にランクインしています。
ホスニー・ムバーラク ムハンマド・ホスニー・ムバーラク(Muhammad Husnī Mubārak)
日本ではムバラクとも表記されます。

エジプト・アラブ共和国の第2代大統領で、過去には首相や副大統領も務めています。
1981年10月に前大統領のサーダート大統領が暗殺されたことにより大統領に就任しましたが、2011年のエジプト革命によ大統領を辞任しました。

大統領就任後は強権的な体制を敷き、独裁的な政治を行ったり、政府の要職をムバーラク周囲の者で固めるなどを行っていました。
これらの行為により2010年の独裁者ランキングで15位にランクインしています。
フルヘンシオ・バティスタ フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル(Fulgencio Batista y Zaldivar)

キューバ共和国の第14代及び第17代大統領で、1940年の選挙で大統領に就任しますが1944年にフロリダに亡命、 後の1952年3月10日に軍事クーデターを起こし再び大統領に就任しました。

大統領就任後は独裁的な政治と、アメリカ政府や企業やマフィアと取引し私服を肥やしていましたが、キューバ革命により大統領を辞任しドミニカ共和国へ亡命しました。
ラファエル・トルヒーヨ ラファエル・レオニダス・トルヒーヨ・モリナ(Rafael Leónidas Trujillo Molina)

ドミニカ共和国の代36代大統領で、1930年に大統領選にて不正行為を行い選挙に勝利し大統領に就任しました。

大統領就任後は政治・経済の建て直しや国境問題などを解決しましたが、独裁的な憲法制定、企業を国有化しトルヒーヨ一族による支配、 ハイチ系住民を数万人単位で虐殺、恐怖政治、トルヒーヨ個人崇拝などを行いました。

後の1961年5月30日に将兵らに暗殺されました。
フィデル・カストロ フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス(Fidel Alejandro Castro Ruz)

キューバ共和国の最高指導者で、初代国家評議会議長、初代閣僚評議会議長、第14代首相などを務めました。

カストロは1959年のキューバ革命でフルヘンシオ・バティスタ政権を倒しキューバの最高指導者となりました。
最高指導者就任後はキューバを社会主義国に変更し、キューバ共産党による一党独裁体制を敷ましたが、深刻な経済状態から多くの亡命者を出しています。

カストロは高齢と体調の不良から2011年4月に全公務から引退しました。
ラウル・カストロ ラウル・カストロ・ルス(Raúl Castro Ruz)

フィデル・カストロの弟で、フィデル・カストロ引退後のキューバ最高指導者となっています。
肩書きには国家評議会議長、閣僚評議会議長、キューバ共産党第一書記などがあります

キューバはキューバ共産党による一党独裁体制のため、その最高指導者であるラウル・カストロも独裁者であるとされ、 世界の独裁者ランキングで21位にランクインされています。
イドリス・デビ イドリス・デビ(Idriss Déby)

チャドの大統領で、2004年5月に大統領の無制限再選などの大統領の権限の強化等を行いました。

また、2010年の独裁者ランキングで13位にランクインしています。
マフムード・アフマディーネジャード イラン・イスラム共和国第6代大統領で、2005年の大統領選で大統領に就任しました。

大統領就任後は反体制派の弾圧や処刑を行い、デモや平和集会を警察や治安部隊を投入し鎮圧させています。
これらの行為により2010年の独裁者ランキングで8位にランクインしています。
ヤヒヤ・ジャメ ヤヒヤ・ジャメ(Yahya Jammeh)

ガンビア共和国第2代大統領で、1994年に無血クーデータにより実権を掌握し、後の1996年に民主選挙により大統領に就任しました。

大統領後は同性愛者の弾圧や魔女狩りを行ったとされています。
また、2010年の独裁者ランキングで16位にランクインしています。
ウゴ・チャベス ウーゴ・ラファエル・チャベス・フリーアス(Hugo Rafael Chávez Frías)

ベネズエラの第53代大統領で、1999年に選挙にて大統領に就任しました。

大統領就任後は憲法を改正し大統領の無制限再選などの大統領の権限の強化、石油などの資源の国有化、為替の管理、農地の分配、 貧困層への医療や生活物資の援助などを行いました。
ミルトン・オボテ アポロ・ミルトン・オペト・オボテ(Apollo Milton Opeto Obote)

ウガンダの第2代及び第6代大統領です。
1966年にクーデターで大統領に就任しますがイディ・アミンによるクーデターで失脚、 後に1980年に大統領に返り咲きますが1985年に再びクーデターにより失脚しタンザニアに亡命し、2005年に死亡しました。

大統領就任後は対立者の弾圧や逮捕・監禁、政党の禁止、企業の国有化などを行いました。
ハイレ・セラシエ1世 ハイレ・セラシエ1世(Haile Selassie I)

エチオピア帝国最後の皇帝で、1930年4月に即位しました。
即位後は憲法の改正などを行い皇帝の神格化を行いましたが、 貧困にあえぐ国民の声や何度かの未遂クーデターの後の1974年に発生した軍事クーデターにより逮捕され翌年に死亡しました。
ブレーズ・コンパオレ ブレーズ・コンパオレ(Blaise Compaoré)

ブルキナファソの第6代大統領で、1987年10月にクーデターを起こし当時の大統領を殺害し、1991年の選挙により大統領に就任しました。
2010年の独裁者ランキングで18位にランクインしています。
ポール・カガメ ポール・カガメ (Paul Kagame)

ルワンダの第5代大統領で、2000年に暫定大統領、2003年8月の大統領選に勝利し正式な大統領になりました。
ポール・カガメは国民からの支持は厚いようですが、敵対勢力や政権への反対者の弾圧や殺害を行っているとされており、 2010年の独裁者ランキングで20位にランクインしています。
モブツ・セセ・セコ モブツ・セセ・セコ・ンクク・ザ・ワ・バンガ(Mobutu Sese Seko Nkuku wa za Banga)

ザイール共和国の第2代大統領で、1960年と1965年の2回のクーデターにより政権を掌握し大統領となりました。

大統領就任後は先進国からの支援金を着服し数々の豪邸や別荘などを保持しましたが、内戦などにより失脚し1997年に辞任しモロッコに亡命しました。
アマドゥ・アヒジョ アマドゥ・アヒジョ(Ahmadou Babatoura Ahidjo)

カメルーン共和国の初代大統領で、1960年のカメルーン独立時に大統領となり、後の大統領選挙にも連勝し、憲法の改正などを行いました。

当時のカメルーンは自らの政党(カメルーン国民連合)の一党独裁体制で有ったため、独裁者とされています。
ポール・ビヤ ポール・ビヤ(Paul Biya)

カメルーン共和国の第2代大統領で、1982年11月6日に就任しました。
大統領就任後は反対者を弾圧したり、大統領選挙などで不正を行ったとされています。

また、カメルーンの大統領は1996年に行われた憲法改定により広範囲な権力と行使権を持っており、 ポール・ビヤは2010年の独裁者ランキングで23位にランクインしています。
メレス・ゼナウィ メレス・ゼナウィ・アスレス(Meles Zenawi Asres)

エチオピアの首相で、暫定大統領も勤めました。

2010年の独裁者ランキングで9位にランクインしています。
ヨウェリ・ムセベニ ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(Yoweri Kaguta Museveni)

ウガンダの第7代大統領で、内戦や反乱などにより政権を掌握し1986年1月29日に大統領に就任しました。

2010年の独裁者ランキングで19位にランクインしています。
フェルディナンド・マルコス フェルディナンド・エドラリン・マルコス(Ferdinand Edralin Marcos)

フィリピン共和国の第10代大統領で、1965年に大統領に就任し約20年に渡り独裁体制をしき権力を握っていましたが、 1986年の大統領選挙の不正から起こったエドゥサ革命によりハワイに亡命しました。

大統領就任中には共産党勢力・反政府活動家への弾圧や憲法の停止などを行いました。
イヴァン4世 イヴァン4世(イワン4世:Ivan IV Vasil'evich)

モスクワ大公で、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(皇帝)です。

残虐な性格で処刑や拷問を好む人物であったとされ、恐怖政治を行い要人や敵対関係にある者の粛清を行いました。
カリギュラ ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus)

第3代ローマ帝国皇帝で、"狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主"とされています。
また、浪費癖のため国家の財政を疲弊させ財政危機を引き起こしたとも言われています。
ロベスピエール マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(Maximilien François Marie Isidore de Robespierre)

ロベスピエールはフランスの政治家で政党のジャコバン派のリーダーとして恐怖政治を行い、政治的にフランスを支配していました。 この恐怖政治の間にロベスピエールに反対する者や過激派などを次々と、処刑・投獄し、全体の犠牲者は2万人~4万人とされています。 ロベスピエールは後に反対派らに逮捕され、ギロチンによって処刑されました。
ナポレオン・ボナパルト Napoléon Bonaparte

皇帝ナポレオン1世として軍事独裁政権を樹立し、フランス及びイギリス以外のヨーロッパを統治しました。

ナポレオンが皇帝として即位後の戦争で約200万もの人々が犠牲になったとされています。

ナポレオンは失脚後セントヘレナ島に幽閉され1821年に死去しました。
ローマの独裁官 紀元前509年から紀元前27年にかけての古代ローマであった「共和政ローマ」おける官職で、有事の際に任命される強大な権限を有する政務官でした。
独裁者の語源も独裁官からきているとされています。

主なローマの独裁官には以下が居ます。

  • ティトゥス・ラルキウス
  • ルキウス・クインクティウス・キンキナトゥス
  • マルクス・フリウス・カミルス
  • マルクス・ウァレリウス・コルウス
  • クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス
  • アッピウス・クラウディウス・カエクス
  • クィントゥス・ファビウス・マクシムス・クンクタトル
  • プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス
  • ルキウス・コルネリウス・スッラ
  • ガイウス・ユリウス・カエサル
 

 







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