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日本の干拓地一覧


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日本の干拓地一覧の概要

干拓とは干潟や湖沼などを干拓堤防で仕切り、水を抜いた後に陸地化することで、干拓した場所を干拓地と呼びます。

干拓地は農地の作る際などに行われますが、海を干拓した場合は塩分を含んでいるため塩害が発生したり、地盤がゆるいなどの問題もあります。

また、広いエリアを干拓することで、周囲の自然環境は動植物の生態系に影響が出る場合があります。
 
 
 
 
 
 
 
日本の干拓地一覧
名称 説明
八郎潟干拓 秋田県の男鹿半島の付け根部分にある八郎潟を干拓した干拓地です。
食料増産と八郎潟沿岸の水害防止のために、1957年に干拓事業を着工し、1977年に竣工しました。
干拓費用は約852億円。干拓面積は約17000ヘクタール。
干拓して出来上がった土地に、全国からの入植者が入植し、大潟村となりました。
諫早湾干拓 有明海内の諫早湾を干拓した干拓地です。
諫早湾の干拓は古くから行われていましたが、大規模な干拓は1989年から国営干拓事業として行われました。
干拓の目的は、高潮や洪水などの防災機能の強化と、農地の造成です。
計画では干拓した陸地として942ヘクタール、調整池として2600ヘクタール。総事業費は2533億円です。
干拓事業によって周囲のノリや魚介類に影響が出ているとされています。
児島湾干拓 岡山県岡山市南区と玉野市の児島湾を干拓した間干拓地です。
児島湾は古くから干拓が行われてきました。
明治32年から昭和35年までの児島湾干拓事業では約5500ヘクタールが干拓され、広大な農地となりました。
有明海沿岸地域 有明海では江戸時代以前から干拓が行われており、約250平方キロメートル以上が干拓地となったとされています。
椿海 江戸時代まで下総国の香取、匝瑳、海上郡(現在の千葉県東庄町、旭市、匝瑳市)に跨って存在した湖です。
面積は約51平方キロメートルあったとされています。太田ノ胡水とも呼ばれていました。
寛文8年(1668年)に開拓が開始され、寛文11年(1671年)には新田開発が始まりました。
香取海 江戸時代まで下総・常陸国境周辺に存在した内海です。
流海(ながれうみ)、浪逆海(なさかのうみ)、内海(うちつうみ)とも呼ばれていました。
霞ヶ浦(西浦・北浦)・印旛沼・手賀沼をひと続きにした広大な内海で、面積は現在の東京湾に匹敵するほどと言われています。
江戸時代に利根川東遷事業で利根川の流れが付け替えられたことなどにより、土砂が堆積し次第に埋め立てられていきました。
東京都墨田区、江東区、江戸川区 墨田区の旧東京市本所区、江東区の小名木川以北の大部分、江戸川区新川付近の干拓地。
千波湖 茨城県水戸市にある那珂川水系の湖です。
干拓前の千波湖は現在の2倍以上の面積がありましたが、江戸時代からの干拓で現在の広さになりました。
見沼 現在の埼玉県さいたま市、川口市等に跨り存在した湖です。
江戸時代から干拓が始まり、開発面積1,228ヘクタール、新田面積ヘクタールの見沼田圃となりました。
印旛沼 千葉県北西部に位置する湖沼です。
もともとは面積が現在の2倍以上ある1つの大きな湖沼でしたが、戦後の干拓により北部調節池(北印旛沼)と西部調節池(西印旛沼)に別れました。
干拓事態は江戸時代から定期的に行われており、主な干拓では昭和44年の水資源公団のよる沼中央部の干拓があります。





手賀沼 千葉県北部、我孫子市、柏市、印西市、白井市に跨って位置する湖沼です。
干拓自体は江戸時代から行われていました。
主な干拓事業は、昭和21年に農水省の直轄事業として行われた干拓事業で、完成の昭和43年までに約500ヘクタールの水田が造成されました。
河北潟干拓地 石川県中部に位置する潟湖です。
1963年から、農林水産省による国営干拓事業として行われ、約1100ヘクタールの農地となりました。
巨椋池干拓地 京都府の南部に位置する湖沼です。
昭和8年から昭和16年まで国営干拓事業が行われ、約634ヘクタールの干拓田が作られました。
笠岡湾干拓地 岡山県笠岡市の笠岡湾をを締め切って作られた干拓地です。 昭和41年から農業用地が約1190ヘクタール、工業用地を含めると1650ヘクタールと日本で3番目に大きな干拓地となっています。
加賀三湖干拓地 石川県南部の小松市、加賀市に点在する今江潟、木場潟、柴山潟の三つの潟湖の名称です。
1952年から1969年にかけての干拓で、今江潟の全面と柴山潟の約6割は農地となっています。
 

 







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