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火消し・火消の種類一覧
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火消し・火消の種類一覧の概要
火消しとは江戸時代の消防組織で、大火事が多発する江戸時代に江戸幕府によって定められました。
火消しは大きく分けて、町人による「町火消」、旗本による「定火消」、大名による「大名火消」があり、これらの制度は現在の消防署や消防団の元となりました。
関連ページ:江戸時代の大火・大火事・大火災の種類一覧
火消しは大きく分けて、町人による「町火消」、旗本による「定火消」、大名による「大名火消」があり、これらの制度は現在の消防署や消防団の元となりました。
関連ページ:江戸時代の大火・大火事・大火災の種類一覧
名称 | 説明 |
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奉書火消 |
ほうしょびけし 1629年(寛永6年)に三代将軍徳川家光の時代に作られた火消しで、火事の際に老中により奉書で諸大名に火消しを召集するというものでした。 火事が発生してから火消しを召集するため迅速さにかけ、招集された火消しも専門の火消しではなかったため火事の際には余り役に立たなかったようです。 |
所々火消 |
しょしょびけし 1639年(寛永16年)に江戸城本丸が火事になったことから作られた火消しです。 所々火消は譜代大名の森川重政に江戸城内にあった紅葉山霊廟の消火役を命じたことから始まり、 後に紅葉山霊廟・大手方・桜田方・二の丸・吹上の江戸城各所、寛永寺・増上寺・湯島聖堂の寺社、両国橋・永代橋などの橋梁、 浅草御米蔵・本所御米蔵・本所猿江材木蔵の蔵など重要地の消火役を大名に担当させました。 |
大名火消 |
だいみょうびけし 1641年(寛永18年)に発生した桶町火事をきっかけに、1943年(寛永18年)に作られた火消しです。 選ばれた6万石以下の大名は1万石ごとに30人の人員を使い、420人で1組の編成で火消しを行いました。 火事が発生した際には火元に近い大名火消が出動し消火にあたりました。この際には武家地・町人地など区別なく消火活動を行ったようです。 |
方角火消 |
ほうがくびけし 1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火(振袖火事)をきっかけに。1657年(明暦3年)に作られた火消しです。 明暦の大火直後には桜田筋・山手筋・下谷筋の3箇所を、元禄元年には東西南北の4箇所を、 1712年(正徳2年)には五方角に増え、1716年(享保元年)以降は大手組と桜田組の2組で火消しを行いました。 方角火消は参勤交代で江戸に滞在中の大名から選ばれ、石高によって火消しの人員が決められていました。 |
定火消 |
じょうびけし 明暦の大火(振袖火事)をきっかけに、1658年(万治元年)に作られた幕府直轄の火消しです。 秋山正房・近藤用将・内藤政吉・町野幸宣の4人の旗本に担当させ、御茶ノ水・麹町半蔵門外・飯田町・小石川伝通院前に火消屋敷が作られました。 主な目的は火事の江戸城への燃焼を防ぐことで、火事が発生すると武家地・町人地の区別なく消火活動を行いました。 また、火消し以外にも火災現場の治安維持も行うため、鉄砲の所持が認められていました。 1704年(宝永元年)には火消しの担当が10組となったため「十人火消」と呼ばれることもありました。 |
各自火消 |
かくじびけし 大名自身の屋敷を消火するために作られた組織で、1717年(享保2年)に近隣に火災が発生した際にも出動することが義務付けられました。 そのため各自火消は「近所火消」とも呼ばれるようになりました。 また火事の際に出動する範囲も定められており、範囲により「三町火消」「五町火消」「八町火消」などとも呼ばれ、 範囲外の親類の大名や菩提寺などの火事を消火に行く場合は「見舞火消」とも呼ばれました。 |
火災防御隊 | 1868年(明治元年)に新政府によって武家火消は廃止され、兵部省管轄の火災防御隊が設けられました。 |
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店火消 |
たなびけし 1648年(慶安元年)に幕府が「各町に10人の火消し人員を配置すること」とのお触れを出したことにより作られた火消しです。 火事の際に駆けつけることから「駆付火消」と呼ばれました。 |
町火消 |
まちびけし 第8代将軍徳川吉宗の時代に始まった町人を中心とした火消しです。 町火消は町奉行の指揮下に入り、家事の際には1町につき30人ずつ火消しの人員を出しました。 |
いろは組 |
町火消から始まった町人による火消しで、1720年(享保5年)に町火消の地域区分を修正し、
隅田川から西の地区を「いろは47組」として、そこに「ん組」が追加され「いろは48組」となりました。 いろは組のうち「へ」「ら」「ひ」「ん」の組はそれぞれ「屁」「摩羅」「火」「"ん"は最後の文字で終わりを意味する」 を意味するのを嫌ったため「百組」「千組」「万組」「本組」に名称を置き換えられました。 |
橋火消 |
1722年(享保7年)に作られた町人による火消しで、橋梁周辺で商売を行っていた髪結床(江戸時代の理髪業)に橋梁の消防と消火を命じたものです。 橋の無い地区で商売を行っていた髪結床は火事の際に管轄する町奉行所に駆け付けることが命じられていました。 |
消防組 | 1872年(明治5年)に新政府によって町火消は消防組39組に改編され、後の消防団の原型となりました。 |
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