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日本の離宮の種類一覧
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日本の離宮の種類一覧の概要
離宮とは王族や支配者が普段住んでいる、王宮から離れた位置に作られた宮殿です。
離宮は王子や皇太子が成人して王宮から離れる場合や、別荘、避暑地、静養地として作られる事もあります。
日本では天皇の生活する皇居や宮殿以外の宮殿を離宮と呼び、規模の大きい物を離宮、規模の小さい物を御用邸と呼んでいます。
御用邸の種類一覧
離宮は王子や皇太子が成人して王宮から離れる場合や、別荘、避暑地、静養地として作られる事もあります。
日本では天皇の生活する皇居や宮殿以外の宮殿を離宮と呼び、規模の大きい物を離宮、規模の小さい物を御用邸と呼んでいます。
御用邸の種類一覧
名称 | 説明 |
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桂離宮 |
京都市西京区桂にある離宮で、17世紀頃に桂宮家(八条宮家)の智仁親王が作った別邸です。 現在は宮内庁京都事務所が管理しており、申し込みをすれば見学を行なうことも出来るようです。 |
修学院離宮 |
京都市左京区にある離宮で、17世紀中頃に後水尾上皇によって作られました。 修学院離宮は約54万平方キロメートルあり、上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋の3つの庭園からなっています。 上御茶屋と下御茶屋は108代天皇の後水尾上皇により1655年から1659年にかけて作られ、中御茶屋は後水尾上皇の皇女の御所として作られました。 現在は宮内庁京都事務所が管理しており、申し込みをすれば見学を行なうことも出来るようです。 |
赤坂離宮 |
東京都港区に有った離宮で、紀州徳川家の江戸中屋敷の土地の一部に明治42年に皇太子時代の大正天皇の東宮御所として建てられました。 後に国立国会図書館、裁判官弾劾裁判所と利用され、現在は赤坂迎賓館として利用されています。 |
霞ヶ関離宮 |
東京都千代田区に有った離宮で、当初は有栖川宮熾仁親王邸として明治17年に建造されましたが、明治29年に宮内庁に買い上げられました。 その後は外国王族使臣の宿舎や皇太子時代の昭和天皇の東宮御所となったあと、東京大空襲により損傷し、戦後に取り壊されました。 |
芝離宮 |
老中大久保加賀守忠朝の屋敷であった楽壽園が明治4年に有栖川宮熾仁親王邸となり、後の明治8年に宮内庁が買い上げたことにより明治9年に芝離宮となりました。 その後大正13年に昭和天皇の御成婚記念として東京都に下賜され、現在は旧芝離宮恩賜庭園となっています。 |
鳥羽離宮 |
鳥羽殿、城南離宮とも呼ばれています。 京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・竹田・中島付近にあった離宮で、12世紀から14世紀頃までの上皇に利用されていました。 鳥羽離宮は11世紀に藤原季綱が鳥羽の邸宅を白河上皇に献上したことから始まり、白河上皇や後の鳥羽上皇によって増改築が行なわれ、 南殿(証金剛院)、泉殿(成菩提院)、北殿(勝光明院)、東殿(安楽寿院)、田中殿(金剛心院)等が作られました。 その後は南北朝時代の戦争により消失・損傷し荒廃していったとされています。 |
名古屋離宮 |
愛知県名古屋市中区・北区に有った離宮で名古屋城をそのまま利用していました。 明治26年に名古屋城本丸が陸軍省から宮内庁に移管されたことで、名古屋城が名古屋離宮となりました。 名古屋離宮は昭和5年まで存在し、現在は名古屋市に下賜されて名古屋城として一般公開されています。 |
二条離宮 |
京都市中京区二条通堀川西入二条城町に有った離宮で、二条城を利用していました。 二条城は明治17年に陸軍省から宮内庁に移管されたことで二条離宮となり、 昭和14年に宮内庁から下賜されて元離宮二条城と呼ばれるようになりました。 |
函根離宮・箱根離宮 |
神奈川県箱根町に有った離宮で明治19年に完成しましたが、大正12年の関東大震災や昭和5年の北伊豆地震などの災害で倒壊し再建されることなく、
函根離宮の跡地は昭和21年に宮内庁から神奈川県に下賜されました。 現在は恩賜箱根公園となっています。 |
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浜離宮 |
東京都中央区に有った離宮で、現在は浜離宮恩賜庭園として利用されています。
元々は徳川将軍家の鷹狩りの場所でしたが、甲府藩主徳川綱吉が埋め立て、甲府藩の下屋敷(甲府浜屋敷、海手屋敷)として利用され、
徳川家宣が将軍家の別邸(浜御殿)とするため改修を行いました。 のちに迎賓館などに利用され、明治維新後に宮内庁の管轄となり名称が浜離宮と変更され、昭和20年に東京都に下賜され浜離宮恩賜庭園となりました。 |
武庫離宮 |
須磨離宮とも呼ばれています。 武庫離宮は兵庫県神戸市に有った離宮で、明治40年に大谷光瑞別邸を宮内省が購入し大正3年に作りました。 その後昭和20年に戦災により殆どが消失しましたが復旧整備し、今上天皇の御成婚記念として昭和42年に神戸市に下賜されました。 現在は須磨離宮公園として利用されています。 |
吉野離宮 | 奈良県吉野郡吉野町宮滝にあった離宮で、飛鳥時代の吉野宮や吉野離宮などの遺構(宮滝遺跡)が発見されています。 |
上川離宮 |
明治時代中期に当時の旧北海道上川郡旭川村に作ることが検討されていた離宮です。 当時の政府が西京の京都、南都の奈良、東都の東京と同様、北京としての都を設置る構想から、検討されましたが実現はしませんでした。 |
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