最近更新したページ
▲先頭へ▲
最近更新したページ
日本の植民地・外地の一覧
サイト名とURLをコピーする
日本の植民地・外地の一覧の概要
植民地とは本国外の地を本国政府が統治し支配下に置くことです。
植民地の統治の方法には「治外法権の確立」「外交権や駐軍権の取得」「現地の支配者を利用する間接統治」 「本国から総督や長官などの支配者を派遣する直接統治」「自国への併合」などがあります。
外地とは戦前の日本における、日本国以外の統治区域で、台湾、樺太、関東州、朝鮮、南洋群島がこれに当たります。
植民地の統治の方法には「治外法権の確立」「外交権や駐軍権の取得」「現地の支配者を利用する間接統治」 「本国から総督や長官などの支配者を派遣する直接統治」「自国への併合」などがあります。
外地とは戦前の日本における、日本国以外の統治区域で、台湾、樺太、関東州、朝鮮、南洋群島がこれに当たります。
名称 | 説明 |
---|---|
台湾 |
台湾は下関条約により1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)年にかけて日本に統治されていました。 日本統治時代の台湾は、大日本帝国(外地・台湾)とされ、正式に日本の領土となっていました。 台湾統治時代の行政機構には台湾総督府があり、歴代の台湾総督には、樺山資紀、桂太郎、乃木希典、児玉源太郎、佐久間左馬太、 安東貞美、明石元二郎、田健治郎、内田嘉吉、伊沢多喜男、上山満之進、川村竹治、石塚英蔵、太田政弘、南弘、中川健蔵、小林躋造、 長谷川清、安藤利吉がいました。 台湾総督府は行政・司法・立法・軍事などの権限を持ち、台湾の教育・産業・インフラ(台湾総督府鉄道、基隆港、高雄港、烏山頭ダム)などの開発を行いました。 |
朝鮮 |
朝鮮は日韓併合条約により1910年(明治43年)から1945年(昭和20年)年にかけて、当時の大韓帝国領を日本に統治されていました。 日本統治時代の朝鮮は、大日本帝国(外地・朝鮮)とされ、正式に日本の領土となっていました。 朝鮮統治時代の行政機構には朝鮮総督府があり、歴代の朝鮮総督には、寺內正毅、長谷川好道、齋藤實、山梨半造、齋藤實、 宇垣一成、南次郎、小磯國昭、阿部信行がいます。 朝鮮統治時代には、被差別民とされていた白丁などの身分開放、日本語やハングルの教育、朝鮮総督府鉄道や道路やダムなどのインフラ構築などを行いました。 |
樺太(南樺太) |
北緯50度線以南の樺太(南樺太・サハリン)はポーツマス条約により、1905年から1945年にかけて大日本帝国の領土となっていました。 樺太における日本の行政機関としては、樺太民政署、樺太庁があり、1943年4月1日には樺太は大日本帝国の内地に編入されます。 歴代の樺太庁長官には、楠瀬幸彦、床次竹二郎、平岡定太郎、岡田文次、昌谷彰、永井金次郎、昌谷彰、豊田勝蔵、喜多孝治、 縣忍、岸本正雄、今村武志、棟居俊一、小河正儀、大津敏男がいます。 第二次世界大戦後の樺太はソビエト連邦及びロシア連邦が実効支配していますが、当時のソビエト連邦がサンフランシスコ講和条約に調印しておらず、 南樺太は帰属未定地となっています。 |
南洋諸島・南洋群島 |
南洋諸島・南洋群島(現在のミクロネシアで、北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦)は、
1919年から1945年にかけてヴェルサイユ条約でのドイツの全海外領土・海外植民地没収に基づき、
国際連盟によって大日本帝国が委任統治を託されていた領地です。 南洋諸島・南洋群島における日本の行政機関としては、南洋庁があり歴代の南洋庁長官には、手塚敏郎、横田郷助、 堀口満貞、田原和男、松田正之、林寿男、北島謙次郎、近藤駿介、細萱戊子郎がいます。 |
関東州 |
関東州(現在の旅順、大連)はポーツマス条約により、清朝からの租借地の権利をロシアから日本が引き継ぐ形になり、
1905年から1945年にかけて大日本帝国の領土となっていました。 1915年には中華民国との条約により租借期限を1997年まで延長され、後の満州国の一部とみなされるようになりましたが、 日本のポツダム宣言受諾により関東州の地域は中華民国に復帰しました。 関東州における日本の行政機関としては、関東都督府、関東軍、関東庁、関東州庁があります。 |
南満州鉄道付属地 満鉄附属地 |
南満州鉄道付属地はポーツマス条約により、ロシア帝国が運営していた東清鉄道の南満州支線の鉄道付属地を継承したことにより、
1905年から1945年にかけて大日本帝国の領土となっていました。 また南満州鉄道付属地は、土地の所有権の他に行政権も継承しており、大日本帝国は行政の運営やインフラの構築などを行いました。 |
▲先頭へ▲