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脱獄犯・脱獄事件の一覧


 
 
2017年1月4日 脱獄事件を数件追加

脱獄犯・脱獄事件の一覧の概要

脱獄とは収監されている刑務所や拘置所などの刑事施設から脱出する行為です。

日本では未遂を含め脱獄を試みると「単純逃走罪」や「加重逃走罪」などにより罰せられます。

 
 
 
 
 
 
 
脱獄犯・脱獄事件の一覧
名称 説明
脱獄犯
ジャック・シェパード Jack Sheppard

1702年から1724年にかけて生存していたイギリスのドロボウで、監獄から数多くの脱獄を繰り返しました。

ジャック・シェパードが脱獄した監獄には「聖ギレス監獄」「ニューゲート監獄」があり、「ニューゲート監獄」では3回の脱獄と1回の脱獄未遂を行っています。

1724年11月16日に絞首刑により処刑されました。
ジャコモ・カサノヴァ Giacomo Girolamo Casanova
1725年4月2日から1798年6月4日にかけて生存していたヴェネツィアの作家で、宗教裁判により鉛の監獄と呼ばれている「I piombi」に収監されましたが後に脱獄しました。
ジョン・デリンジャー John Herbert Dillinger Jr
1903年6月22日から1934年7月22日にかけて生存していたアメリカ合衆国のギャング・銀行強盗です。

ジョン・デリンジャーが脱獄した刑務所は、オハイオ州ライマの刑務所、インディアナ州クラウンポイントのレイク郡刑務所などがあります。

またジョン・デリンジャーは仮釈放中に仲間の脱獄も手助けしています。
フランク・モリス Frank Lee Morris
アルカトラズ連邦刑務所から脱獄した人物とされています。

フランク・モリスはアメリカ合衆国の犯罪者で、麻薬所持や強盗の罪で逮捕されアルカトラズ連邦刑務所に収監されていましたが、 1962年6月11日の夜に手製のいかだで脱獄を行ったとされています。
脱獄後は行方不明となり遺体も発見されてはいませんが、FBIからはサンフランシスコ湾で溺死したと断定されました。
ジョージ・ブレイク George Blake
イギリスの外交官で後にソ連KGB大佐となったスパイです。

ジョージ・ブレイクはイギリス外交官でありながら、ソ連に情報を引き渡した罪で逮捕され懲役42年の罪が言い渡されましたが、 アイルランド人テロリスト、ショーン・アルフォンス・バークの手助けにより脱獄し、後にモスクワに渡りました。
パスカル・ペイエ フランスの殺人犯で、2001年と2007年7月15にヘリコプターを用い脱獄を図りました。
またパスカル・ペイエは逃亡していた2003年に同じくヘリコプターにて刑務所に収監されていた仲間3人を脱獄させた事もあります。
テッド・バンディ Theodore Robert Bundy
1946年11月24日から1989年1月24日にかけて生存していたアメリカ合衆国の連続殺人犯です。

テッド・バンディは1974年から1978年にかけて30人以上の女性を殺害したとされる殺人犯で、 1975年8月16日に逮捕されますが1976年6月7日に裁判所への移送中に逃亡しましたが1週間後につかまりました。
また、1977年12月30日にも収監されていたコロラド州グレンウッドスプリングスの刑務所から脱獄しましたが1978年2月15日に逮捕され、 1989年1月24日に電気椅子により死刑が執行されました。
ジャック・メスリーヌ Jacques René Mesrine
1936年12月28日から1979年11月2日にかけて生存していたフランスの強盗で、刑務所から数度の脱獄や、 脱獄した刑務所を襲撃し囚人全てを脱走させる事件を起こしました。
ジェームズ・アール・レイ James Earl Ray
1928年3月10日から1998年4月23日にかけて生存していたアメリカ合衆国の犯罪者で、キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)の暗殺を 行った犯人でもあります。

ジェームズ・アール・レイは1959年に強盗で逮捕されましたが1967年に脱獄、またキング牧師殺害の罪で収監されたテネシー州の刑務所からも1977年6月11日に脱獄を行いました 2日後に確保されました。
マリカ・ウフキル Malika Oufkir、Malika Ufqir
1953年4月2日生まれのモロッコ人女性で、父親のウフキル将軍が当時の国王ハサン2世の搭乗する飛行機の撃墜未遂事件を起こしたことから監禁・逮捕されましたが、 1987年にサハラ砂漠の監獄から脱獄しました。
ダニエル・カマルゴ・バルボサ Daniel Camargo Barbosa
1930年1月22日から1994年11月13日にかけて生存していたコロンビアの連続殺人犯で、コロンビア・エクアドルで72人の少女を殺害したとされています。

ダニエル・カマルゴ・バルボサは1974年5月3日に殺人で逮捕されますが、1984年に脱獄しエクアドルに逃亡しエクアドルでも54人以上にの殺人を行いました。
ジョージ・ジャクソン George Jackson
1941年9月23日から1971年8月21日にかけて生存していたアフリカ系アメリカ人で、黒人民族主義運動を行っていたブラックパンサー党の指導者の一人です。

1970年1月16日に収監されていた刑務所からの脱獄を図りその際に看守を殺害して死刑判決を受けました。
さらに1971年8月21日にもサン・クエンティン州立刑務所から脱獄を試みましたが警備員により射殺されました。
ナポレオン3世 シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)
1808年4月20日から1873年1月9日にかけて生存していたフランス第二共和政の大統領です。

ナポレオン3世は7月王政(オルレアン朝)打倒の反乱を起こし1840年に終身刑となりましたが、1846年にハム牢獄から脱獄しイギリスへ亡命しました。
ジェリコ・ラジュナトヴィッチ 1952年4月17日から2000年1月15日にかけて生存していたセルビアの民兵組織アルカン・タイガーのリーダーです。

ユーゴスラビア紛争以前にヨーロッパ各国で強盗・殺人を繰り返し、1974年にはベルギーで逮捕され1977年に脱獄、 1979年にはオランダで逮捕され1981年に脱獄、またそれ以外のヨーロッパの各地でも逮捕・脱獄を繰り返しました。
ドミトリー・マヌイリスキー 1883年9月21日から1959年2月22日にかけて生存していたロシアの革命家・ソビエト連邦の政治家で、 1906年に武装蜂起を組織したことで逮捕されましたが後に中継刑務所から脱獄しました。
フランソワ・ヴィドック Eugène François Vidocq
1775年7月23日から1857年5月11日にかけて生存していたフランスはパリの犯罪者です。

フランソワ・ヴィドックは16歳で歩兵連隊に入隊したものの5年後に軍隊を除隊しますが、正式な除隊でなかった為に脱走兵として逮捕されました。
その後は脱獄と逮捕を繰り返し、後に警察へ情報を売る密偵となり国家警察パリ地区犯罪捜査局を創設し初代局長となりました。
モーリツ・ベニョヴスキー Móric Benyovszky
1746年9月20日から1786年3月23日にかけて生存した東洋の犯罪者で、ロシアで逮捕されてカムチャツカ半島に流刑となりましたが後に脱獄しました。
アルヴァロ・クニャル Álvaro Barreirinhas Cunhal
1913年11月10日から2005年6月13日にかけて生存していたポルトガルの政治家で、ポルトガル共産党の書記長などを務めました。

アルヴァロ・クニャルは幾度かの逮捕の後1949年にも逮捕されましたが、1960年にペニシェ監獄から脱獄しました。
カール・パンズラム Carl Panzram
1891年6月28日から1930年9月5日にかけて生存していたアメリカ合衆国の連続殺人犯で、22人の殺人を犯したとされています。

カール・パンズラムは殺人を行う以前に、強盗・放火・強姦などで何度も逮捕され、同じく脱獄も繰り返しました。
1918年には刑期を14年残して脱獄し、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカなどを点々と逃亡を続けました。
ロナルド・ビッグズ Ronald Arthur Biggs
1929年8月8日に生まれたイギリスの犯罪者で、1963年8月8日に発生した列車強盗により逮捕されワンズワース刑務所に収監されましたが、 1965年7月8日に脱走を図りパリ、オーストラリア、ブラジルなどを点々とし、2001年5月7日にイギリスに帰国した際に逮捕されました。





フーゴー・グローティウス Hugo de GrootまたはHugo Grotius
1583年4月10日から1645年8月28日にかけて生存したオランダの法学者で、神学論争(ドルト会議)により 1619年にレーヴェシュタイン城に投獄されましたが、1621年に脱獄しパリへ亡命しました。
トマス・ハインズ Thomas Hines
1838年10月8日から1898年1月23日にかけて生存したアメリカの軍人・スパイです。

トマス・ハインズは南北戦争にて捕虜としてオハイオ刑務所に収監されましたが後に脱獄しました。
サッダーム・フセイン サダム・フセイン(Saddam Hussein)
1937年4月28日から2006年12月30日にかけて生存したイラク共和国の政治家で大統領も勤めましたが、政権が崩壊したことにより逮捕され処刑されました。

サッダーム・フセインは1964年に当時の大統領アブドゥッ=サラーム・アーリフの暗殺を企て逮捕されましたが、1966年に脱獄しました。

また、フセイン政権崩壊後の逮捕で収監されていた米軍御拘置施設キャンプ・クロッパーからの脱獄も計画されていました。
ロージャ・シャーンドル Sándor Rózsa
1813年7月10日から1878年11月22日にかけて生存していたハンガリーの盗賊で、1836年にウマ泥棒の罪で逮捕されますが後に脱獄しました。
ティモシー・リアリー Timothy Francis Leary
1920年10月22日から1996年5月31日にかけて生存していたアメリカ合衆国の心理学者で、 後に逮捕されますが刑務所内の心理テストで温和な性格との判定が出るように答え比較的警備の緩い刑務所に移り、そこで脱獄を図りましたが直ぐに逮捕されました。
ミシェル・セルヴェ Michel Servet
1511年9月29日から1553年10月27日にかけて生存した酢終え印の人文主義学者・神学者で、1553年に三位一体説を批判する書物を出版したことにより 投獄されましたが後に脱獄しましたが。最後には捕らえられ火刑に処されました。
ホセ・ムヒカ ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ(José Alberto Mujica Cordano)
1935年5月20日に生まれたウルグアイの政治家で、同国第40代大統領でもあります。

ホセ・ムヒカは左翼ゲリラ組織ツパマロスに加入しており、4回逮捕されうち2回脱獄しています。
トマス・マロリー Sir Thomas Malory
1399年から1471年にかけて生存していた、作家で著作に「アーサー王の死」があります。

トマス・マロリーは1450年代に強盗・強姦・窃盗・殺人未遂などを行い逮捕され2回脱獄を行っています。
ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ Gheorghe Gheorghiu-Dej
1901年11月8日から1965年3月19日にかけて生存していたルーマニアの政治家で、1933年にストライキの活動を行い逮捕されますが1944年に脱獄をしました。
ジャンヌ・ド・ラ・モット・ヴァロア Jeanne de Valois-Saint-Rémy, comtesse de la Motte-Valois
1756年7月22日から1791年8月23日にかけて生存していたフランスの伯爵夫人で、「首飾り事件(詐欺事件)」の首謀者で事件により投獄されましたが脱獄しイギリスのロンドンに逃亡しました。
グリゴリー・ゲルシューニ Grigorii Andreievich Gershuni
1870年9月29日から1908年5月29日にかけて生存していたロシア帝国の革命家で、 ロシア帝国の政治家であるドミトリー・シピャーギンの暗殺に係り逮捕されましたが、後に脱獄し 中国、アメリカ合衆国、ヨーロッパなどを点々としました。
レーモン・オーブラック Raymond Aubrac
1914年7月31日から2012年4月10日にかけて生存していたフランスのレジスタンス運動活動家で、 1939年にナチス軍に敗れて捕虜となりサルブルの刑務所に収監されましたが、同年8月に脱獄しました。
メフメト・アリ・アジャ Mehmet Ali Ağca
1958年1月9日生まれのトルコ人で、1981年5月13日にバチカンのサンピエトロ広場でローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を狙撃した人物としても知られています。

極右テロ組織「灰色の狼」に所属していたメフメト・アリ・アジャは、1979年に革新系の新聞編集者アビディ・イペキを殺害し終身刑となり収監されていましたが、 後に脱獄を図りました。脱獄後はブルガリアに渡りブルガリアの情報機関と接触しヨハネ・パウロ2世狙撃へと繋がったとされています。
エティエンヌ・ドレ Étienne Dolet
1509年8月3日から1546年8月3日にかけて生存していた、フランスのラテン語学者で、出版した本の内容の為に異端者・無神論者とされ逮捕されましたが脱獄しました。
グエン・フー・ト 1910年7月10日から1996年12月24日にかけて生存していたベトナムの政治家で、国会議長や国家主席代行などを務めました。

グエン・フー・トは1954年に警察を襲撃した罪で投獄されフーイエン省トゥイホアにて軟禁されていましたが1961年に脱獄しました。
ソフィア・ペロフスカヤ Sophia Lvovna Perovskaya
1853年9月13日から1881年4月15日にかけて生存していたロシア帝国の女性テロリストで、ロシア皇帝であるアレクサンドル2世暗殺の首謀者でもあります。

ソフィア・ペロフスカヤは学生時代に革命運動に加わり逮捕と脱獄を繰り返しました。

後にロシア帝国の反体制テロ組織「人民の意志」に加わり、アレクサンドル2世暗殺を行いましたが、1881年3月10日に逮捕され絞首刑に処されました。
なお、ソフィア・ペロフスカヤはロシア史上で初めて女性で処刑された人物となりました。
スティーヴン・ラッセル Steven Jay Russell
1957年9月14日生まれのアメリカ合衆国の犯罪者で、詐欺などの罪で逮捕されましたが数度の脱獄を図っています。
チャン・フイ・リエウ 1901年11月5日から1969年7月28日にかけて生存したベトナムの革命家で、 インドシナ共産党に入党し活動を行ったことで逮捕されギアロの監獄に収監されましたが、 1945年3月にギアロ監獄破壊に参加して脱獄しました。
ヨハン・ローゼンミュラー Johann Rosenmüller
1684年9月12日まで生存したドイツの作曲家で、1655年に同性愛の罪で逮捕されましたが後に脱獄しイタリアに逃亡しました。
Jean-Pierre Treiber 2009年9月にオーセールの刑務所から脱獄した殺人犯で、刑務所外に回収される荷物のダンボールに入り脱獄を行いました。
名称不明の42歳トルコ系男性 2008年11月14日にドイツの刑務所から脱獄した犯人で、外部へと送られる宅配便のダンボールに入り脱獄を行いました。
ベンジャミン・ウードンバルボー 2013年3月17日にカナダケベック州のサンジェローム刑務所で、ベンジャミン・ウードンバルボー(Benjamin Hudon-Barbeau)ら2人が、 外部の協力者がハイジャックしたヘリコプターを使って脱獄を図りました。
後に2人は拘束され、ヘリコプターの運転手も保護されました。
ルドワン・ファイド 2013年4月13日にフランス北部のリール刑務所から殺人の疑いで逮捕されているルドワン・ファイドが脱獄をしました。
ルドワン・ファイドは看守を人質に獲り、刑務所のドアを爆破して逃走しました。
サーフボードで脱獄したノルウェーの20代の男性 2015年8月にノルウェーのバストイ島にあるバストイ刑務所から、性犯罪で服役していた20代の男性がサーフボードを使って脱獄しました。

このバストイ刑務所は囚人がサイクリングや海水浴などを行える比較的警備や規則の緩い刑務所で、脱獄した男性受刑者は夜中にサーフボードに乗りプラスチックのシャベルで漕いで 約3キロ先のノルウェー本土までたどり着きました。
ミラン・ポパリッチ 2013年7月26日に、スイス西部のオルブ刑務所から、国際強盗団ピンクパンサーの構成員であるミラン・ポパリッチが他の受刑者と共に脱獄をしました。
ホアキン・グスマン 2015年7月11日にメキシコシティーにある刑務所から、麻薬王と呼ばれた麻薬密売組織シナロア・カルテルの最高幹部 ホアキン・グスマンがトンネルを使い脱獄しました。

脱獄に使用されたトンネルは長さ1.5kmで刑務所の外から掘られており、電灯や換気装置を完備し、 専用の軌道と軌道走行用のバイクも用意されておりました。
このトンネルはおよそ1年の工期と約6億2千万円の建設費がかかると推定されています。

ホアキン・グスマン受刑者は2016年1月8日に銃撃戦の後、メキシコの海軍特殊部隊に拘束されました。

なお、ホアキン・グスマンは2001年にも収監されていた刑務所から洗濯かごに隠れて脱獄し、 2014年2月にメキシコ当局に拘束されたばかりでした。
チリの大地震による囚人の脱走 現地時間の2014年4月1日にチリで発生したマグニチュード8.2の地震により、 チリ北部のイキケの刑務所から囚人約300人が脱走しました。
韓国の50代男性 2012年9月17日に強盗傷害事件で南東部大邱の警察署に留置されていた50代の男性が、留置場の食事の差し入れ口から脱走しました。
この男性は「ヨガ大王」とも呼ばれ、過去23年間の刑務所生活でヨガの技術を学んでおり、今回もヨガの技術を使って、留置場から脱走をしました。
西川寅吉 1854年から1941年にかけて生存していた日本の犯罪者で、日本で最も多く脱獄を行った人物です。

西川寅吉が行った脱獄は合計6回にも及び、脱獄した牢獄・刑務所には、三重の牢獄、秋田の集治監、樺戸集治監があります。
白鳥由栄 1907年7月31日から1979年2月24日かけて生存していた日本の犯罪者で、多くの刑務所を脱獄し「昭和の脱獄王」と呼ばれていました。

白鳥由栄は26年間の服役中に行った脱獄は4回にも及び、脱獄した刑務所には、青森刑務所、秋田刑務所、網走刑務所、札幌刑務所があります。
島惟精 1834年5月9日から1886年5月11日にかけて生存していた日本の官僚・政治家で、初代岩手県令も務めました。

島惟精は勤王論者として活動を行ったため幕府に捕らえられましたが、後に脱獄しました。
高野長英 1804年6月12日から1850年12月3日にかけて生存していた、医者・蘭学者で、1839年の蛮社の獄にて幕府に捕らえられ伝馬町牢屋敷に収監されましたが、 1844年6月30日に発生した牢屋敷の火災に乗じて脱獄しました。脱獄の際には役人から「三日以内に戻って来れば罪一等減じるが戻って来なければ死罪に処す」 との警告を受けていましたが、高野長英は戻らず顔を硝酸で焼き人相をかえながら逃亡を続けました。
脱獄事件
広島護送死刑囚脱獄事件 1897年(明治30年)6月19日日に発生した死刑囚の脱獄事件です。

脱獄者は資産家の家などで強盗殺人を働いた死刑囚、貝原喜勢冶、福永友三郎、湊蔵貞、明石章吉の4名で、 死刑執行の為移送されていた途中で宿泊した広島県の廿日市警察署から脱獄しました。

6月21日には警官との切りあいで貝原喜勢冶が逮捕、福永友三郎は死亡し、湊蔵貞も後に逮捕。 明石章吉は脱獄後消息不明となりました。
名古屋少年匕首殺害事件 1945年(昭和20年)8月30日に愛知県名古屋市北区で発生した殺人事件で、匕首(ひしゅ、あいくち)により切りつけられた1人が死亡し、1人が負傷しました。

後に犯人として朝鮮人が逮捕されましたが、名古屋拘置所から脱獄し逃亡しました。犯人は現在韓国にいるとされています。
栃木雑貨商一家殺害事件 1953年(昭和28年)に栃木県芳賀郡市羽村で発生した強盗殺人事件で、雑貨商の一家3人と使用人1人を殺害し、後に犯人として23歳の男性が逮捕されました。

1955年5月11日に犯人は母親に会うために金ノコで窓の鉄格子を切断し脱獄し、脱獄後11日目に母親の元に現れた所を逮捕され、 1955年11月22日に宮城刑務所で死刑となりました。

なお、犯人の死刑確定後も妹などが脱獄用に、石鹸に金鋸と安全剃刀を隠して差し入れを行ったとして逮捕されました。
藤本事件 1951年(昭和26年)に熊本県菊池郡で起きた役場衛生課職員への爆破事件と殺人事件で、事件の起こった地域名から「菊池事件」とも呼ばれています。

事件は犯人とされるハンセン病の男性が逆恨みから事件を起こしたとされ、爆破事件に大して懲役10年の判決を言い渡され、菊池拘置所に収監されていましたが、 1952年6月16日に脱獄しました。

脱獄後の7月6日に爆破事件被害者の役場衛生課職員が惨殺された姿で発見され、7月12日に脱獄していた男性が逮捕されました。

後に死刑判決となり1962年9月14日に福岡拘置所で死刑となりましたが、藤本事件の裁判には疑問点が多く残り冤罪の可能性があったとされています。
広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件 1963年1月20日に強盗殺人(三原食堂女主人強盗殺害事件)を犯し死刑判決を宣告されていた25歳の男性が、収監されていた広島拘置所尾道拘置支所から1965年4月10日夜に脱獄しました。

脱獄後の犯人は逮捕される翌日午前9時25分までに強盗、傷害3件、強姦、窃盗4件、窃盗未遂1件、住居侵入1件の罪を重ねました。
広島刑務所中国人受刑者脱獄事件 2005年5月に岡山県岡山市内で窃盗や殺人未遂や銃刀法違反で逮捕された40歳の中国人男性が起こした脱獄事件です。

脱獄事件は2012年1月11日に広島刑務所で発生し、1月13日午後4時半ごろに逮捕されました。
逃走途中には数件の空き巣や車上荒らしを行ったとされています。

なお犯人の男性は2005年6月にも逮捕時の足の怪我の治療のため通院の際に、護送車両を奪い脱走を行い30分後に逮捕されました。
熊本大学生誘拐殺人事件 1987年9月14日に発生した誘拐殺人事件で、逮捕され死刑判決を受けた主犯の男性が、1996年12月に鉄格子を切断し脱獄しようとしました。
この脱獄では看守が現金3000円や金切り鋸を渡していたことが発覚し、援助を行った看守は後に自殺しました。
マイケル・パルデュー事件 1973年にアメリカ合衆国で3件の殺人事件で逮捕された17歳の少年が1977年、1978年、1987年と3回の脱獄を図りました。
なお、殺人事件については免罪として無罪になりましたが、無罪確定までの間の3回の脱獄により「三振法」 (3度目の有罪判決をうけた前科のある重罪犯は罪の種類に関わらず終身刑となる法律)により終身刑が確定され問題となりました。
シン・チャンウォン事件 1997年1月20日に韓国の刑務所から強盗致死罪で無期懲役の判決を受けていた、シン・チャンウォン(申昌源)が脱獄しました。

シン・チャンウォンは約2年間逃亡を続け、韓国全土で約9億8000万ウォンを盗みましたが、1999年7月16日に逮捕されました。
広島・八本松タクシー強盗殺人事件 1957年1月29日に発生した事件で、銀行強盗に使用する目的で運転手を射殺してタクシーを強奪しました。

この事件で逮捕された犯人は1961年4月に拘置所から脱獄しましたが18時間後に拘束されました。
中野刑務所看守殺人事件 1961年1月21日に発生した事件で、共犯者と共に看守を殺害して脱獄しました。後に逮捕され死刑となり1967年に執行されました。
昭島老女強盗殺人事件 1965年2月19日に発生した事件で、逮捕後に脱獄を図りました。
四国連続強盗殺人事件 1963年に発生した連続強盗殺人事件の犯人が事件発生前に在籍していた軍を脱走し、軍法会議中に拘束されていた施設から看守を負傷させて脱獄を図りましたが捕まり、 殺人未遂で無期懲役となりました。

その後、恩赦により仮出所し後に四国連続強盗殺人事件を起こすこととなります。
ボコ・ハラム事件 ボコ・ハラムはナイジェリアの過激派で、2010年にナイジェリアのボルノ州にある刑務所を襲撃し700人以上の受刑者が脱獄しました。
ジョン·B·コナリーユニット事件 アメリカ合衆国のテキサス州にある凶悪犯刑務所で、2000年12月13日に7人の受刑者( ジョセフ·C·ガルシア(Joseph C. Garcia)、 ランディイーサンハルプリン(Randy Ethan Halprin)、 ラリー·ジェームズ·ハーパー(Larry James Harper)、 パトリック·ヘンリー·マーフィー·ジュニア(Patrick Henry Murphy, Jr.)、 ドナルド·キースベリー(Donald Keith Newbury)、 ジョージ·リバス(George Rivas)、 マイケル·アンソニー·ロドリゲス(Michael Anthony Rodriguez)が脱獄しました。
パキスタンの刑務所 2012年4月にパキスタン北西部カイバル・パクトゥンクワ州バンヌの刑務所が武装勢力によって襲撃され、 囚人384人が脱獄・脱走しました。
アフガニスタンの刑務所 2011年4月にアフガニスタン南部カンダハルの刑務所からタリバンのメンバーが数百メートルのトンネルを掘り、 500名近くが脱獄を図りました。
イエメンの刑務所 2006年2月3日イエメンのサヌアの刑務所から国際テロ組織アルカイダのメンバー23人が140mのトンネルを掘り脱獄しました。
アフガニスタンの刑務所 2012年2月19日にメキシコのヌエボレオン州アポダカ刑務所で暴動が発生し、受刑者44人が死亡しました。

この暴動は麻薬組織セタスのメンバー30名の脱獄をカムフラージュするものだったとされています。
メキシコの刑務所 2012年9月17日にメキシコ北部のコアウイラ州ピエドラスネグラスの刑務所から少なくとも132人の囚人が脱獄をしました。
脱獄には囚人達が掘った、深さ2.9メートル、幅1.2メートル長さ7トンネルが使われました。
ブラジルのマトグロッソ州ノバムツムの刑務所 2015年2月5日にブラジルのマトグロッソ州ノバムツムの刑務所において、 警官の衣装を着たセクシーな女性2人が現れ、看守を口説き刑務所内に入り 睡眠薬と見られる薬物入りのウイスキーを看守に飲ませました。

睡眠薬入りのウイスキーを飲んだ看守2人は翌日に目を覚ましましたが全裸で手錠をかけられており、 刑務所内に服役していた受刑者26名が脱獄しました。

この事件で脱獄した26名のうち11名は8日までに逮捕され、看守2名と刑務所長は脱獄事件を防げなかったとして拘束されました。
ブラジルのマナウス近郊の刑務所 ブラジルのマナウス近郊の刑務所で2017年1月1日に暴動が発生し、囚人56人が死亡したほか、暴動の発生した刑務所から122人、近隣施設から72人の計184人が脱走をしました。
公安当局は3日までに40人を捕まえましたが、残る144人の行方が分からなくなっています。

この暴動は受刑者のグループ同士の抗争から暴動へと発展し、混乱に乗じて以前から掘られていた複数の刑務所外へ繋がるトンネルから受刑者が脱獄しました。
フィリピンのミンダナオ島の刑務所 2017年1月4日未明にフィリピン南部のミンダナオ島のコタバト州にある刑務所に100名近い武装集団が刑務所を襲撃し、 刑務官と2時間以上の銃撃戦となり刑務官1名と受刑者6名が死亡、受刑者158人が脱獄を図りました。

この刑務所では10年前にも武装集団に襲撃を受け、イスラム過激派組織の幹部ら約50名が脱獄をしています。
アウシュビッツ強制収容所 1944年にアウシュビッツ強制収容所に収容されていたアルフレッド・ウェツラーとルドルフ・ヴルバは脱獄し、 連合軍側にアウシュビッツ強制収容所の実態を知らせ、アウシュビッツへ向かう列車を止め12万人ともいわれる多くの人命を助けました。
その他の脱獄事件
クアラルンプール事件 1975年8月4日に日本赤軍がマレーシアのクアラルンプールにあるアメリカとスウェーデンの大使館を襲撃し、館内の関係者を人質に取った事件で、 犯人側は既に服役・拘置されている活動家の西川純、戸平和夫、坂東國男、坂口弘、松浦順一、松田久、佐々木規夫の釈放を日本政府に要求しました。

この事件で日本政府は超法規的措置として参加を拒否した坂口弘と、仮釈放中で同じく参加を拒否した松浦順一、以外の5名を釈放しリビアに向かわせました。

その後、西川純はボリビアで拘束され日本へ送致、戸平和夫はレバノンで拘束され日本へ送致、坂東國男・松田久・佐々木規夫は現在も海外逃亡中となっています。
ダッカ日航機ハイジャック事件 1977年9月28日に日本赤軍が起こしたハイジャック事件で、バングラデシュのダッカ国際空港に矯正着陸後、乗客乗務員を人質に600万ドルの身代金と、 既に服役・拘置されている活動家の奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄ら9名の釈放を日本政府に要求しました。

この事件で日本政府は超法規的措置として参加を拒否した植垣康博、知念功、大村寿雄、以外の6名を釈放し、ダッカ空港へ向かい後にアルジェリアへのダル・エル・ペイダ空港へと向かいました。

その後、城崎勉はネパールで拘束、浴田由紀子はルーマニアで拘束、泉水博はフィリピンで拘束され、奥平純三、大道寺あや子、仁平映は現在も海外逃亡中となっています。
ハーグ事件 1974年9月13日にオランダのハーグで発生した、日本赤軍によるフランス大使館の占領事件で、 大使館職員11名を人質に身代金30万ドルとフランス当局に収監されていた日本赤軍のメンバーである山田義昭の釈放を要求しました。

この事件でフランス政府は山田義昭を釈放し、犯人グループはシリアへ逃亡しました。

1986年2月に山田義昭は警視庁に出頭し逮捕されました。
 

 







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