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日本の古代豪族の一覧
日本の古代豪族の一覧の概要
豪族にはヤマト政権成立までの地方地域を支配していた勢力や首長層などを指す古代豪族や、武家社会においては地方の有力武士団や権力を持つ豪農などが豪族とも呼ばれることがありました。
このページでは主に古代豪族と呼ばれるヤマト政権成立前後の豪族をまとめています。この時代は古墳時代とも呼ばれるように多くの大規模古墳を作ったほか、氏神として自分達が崇拝する神様や祖先を祭る神社なども作り、後にそれぞれの豪族がヤマト政権に取り込まれる際に一体化され現在の神道の中に取り込まれました。
古代豪族には初期から天皇家に強力をした機内地域の中央系豪族、地方の豪族でヤマト政権に強力した地方系豪族、中国大陸や朝鮮半島から移住した民族の渡来系豪族に分類されます。
また、嵯峨天皇により編纂された古代氏族の名鑑である『新撰姓氏録』では、神武天皇以降に天皇家から分かれた氏族の『皇別』、神武天皇以前の時代に天皇家から分かれた氏族や天孫降臨の際にニニギノミコトと共に地上に降臨した神々の子孫である『神別』、渡来人などの子孫である『諸蕃』、上記3つに含まれない『その他の氏族』に分類されています。
日本の古代豪族の氏族一覧
他田氏
長野県の諏訪湖周囲に位置する二社四宮の諏訪神社の神職である諏訪氏とも深い関係が有るとされ、長野県上田市にある下之郷古墳群の他田塚古墳はその名の通り他田氏の関係者が埋葬されたと伝えられています。
阿蘇氏
健磐龍命の子である速瓶玉命を祖としており、熊本県阿蘇市には速瓶玉命を祭神として祭った国造神社も残されています。
阿蘇氏は古くから阿蘇山の神への司祭的立場であった一族が力を持ち豪族になったと考えられており、健磐龍命などを祭神とした阿蘇神社の大宮司を代々務めています。
阿多氏
阿部氏
飛鳥時代から奈良時代にかけては阿倍内麻呂や阿倍比羅夫などの高官や将軍などを輩出した有力な氏族で、平安時代頃に安倍氏に改めて安倍晴明などを輩出し以降は陰陽師の家系となりました。
阿保氏
息速別命を祖とする系統は三重県西部の伊賀市や名張市に位置した伊賀国を支配していた豪族で伊賀国造でもありました。
息速別命の子孫である須珍都斗王から阿保姓を賜りました。
於知別命を祖とする系統には現在の滋賀県草津市や栗東市などの地域を支配していた豪族である小槻山君などがおり、子孫の今雄・有緒・良眞らが阿保姓を賜りました。
阿牟氏
神魂命の子孫であり味波波命を祖としています。
葦北氏(日奉氏)
吉備津彦命の子である三井根子命を祖としており、後に日奉の姓を賜りました。
粟氏
高皇産霊尊の子孫である千波足尼を祖としており、徳島県名西郡石井町の中王子神社には神体として祭られていた阿波国造墓碑があります。
徳島県鳴門市には萩原墳墓群、天河別神社古墳群、宝幢寺古墳群など大規模な古墳が多く残り、粟国造であった粟氏に関連した人物の墓であったと考えられています。
安氏
彦坐王の子である水穂真若王の子孫の系統で、円山古墳、甲山古墳、古冨波山などを含む大岩山古墳群は安氏に関連する人物の墓とされています。
安曇氏(阿曇氏)
海の神である綿津見神の子孫であるとされ、後に本拠地であった九州から全国各地に移住し愛知県の渥美半島や、長野県の安曇野などの地名は安曇氏に由来があるとされています。
庵原氏(廬原氏)
吉備建彦の子である意加部彦を祖としており、多くの勢力を誇っていたとされ、白村江の戦いでは軍を率いて戦いました。
また、後の世では今川氏の傘下として桶狭間の戦いにも参戦しています。
伊勢氏
天日鷲命または天日鷲命を祖としています。なお、天日鷲命と天日鷲命は別人説と同一人物説があります。
伊豆氏
天蕤桙命の子孫である若建命を祖としています。
伊余氏
敷桁彦命の子である速後上命を祖としています。
磯城氏
古事記と日本書紀に登場する最古の豪族の1つで、欠史八代と呼ばれる第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの皇后の多くが磯城氏に関連した女性となっております。
しかし、欠史八代の天皇は存在していたという証拠が乏しく、磯城氏についても存在が不明でなぞの多い豪族となっております。
壱岐氏
壱岐氏には中臣烏賊津の子孫である氏族と、大陸から渡ってきた渡来人の子孫の氏族がいるとされています。
因幡氏
彦坐王の子である彦多都彦命を祖としており、大和政権の勢力が因幡に及ぶよりも古い時代からこの地を支配していたと考えられています。
因幡国一宮である宇倍神社の神主の家系である伊福部氏は因幡氏から別れた氏族でも有ります。
宇佐氏
宇佐国造を世襲したとの説のありますが、真意は不明のようです。
宇佐氏は宇佐神宮(宇佐八幡宮)の大宮司を代々務めており、鎌倉時代末期に宇佐氏は宮成家と到津家に別れ、宇佐神宮の神職を交互に担っています。
越氏
屋主田心命の子孫である市入命を始祖としています。
越智氏(伊予国)
越智氏 (大和国)
始祖は不明ですが、物部氏と関連のある氏族説や、伊予国の河野氏の末裔説、源頼親の子孫などの説が有ります。
大神氏
大神惟基を祖としており、大和国の大神氏と繋がりがあるとも言われています。
下道氏
御友別の子である兄彦命(稲速別命)を祖としており、吉備氏の一族にあたる氏族とされています。
下道氏の支配していた岡山県小田郡矢掛町には国指定重要文化財の「下道公の墓」と呼ばれる遺跡もあります。
科野氏
崇神天皇の子孫である建五百建命を祖としており、後に科野氏から金刺氏や他田氏に分かれたとされています。
科野国の位置した地域には森将軍塚古墳を含む埴科古墳群、川柳将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳など大規模な古墳が発見されており、いくつかの古墳は科野氏に関係があると伝えられています。
賀茂氏
また賀茂氏には複数の氏族が折り、代表的な賀茂氏には現在の奈良県御所市付近に位置する大和国葛上郡鴨周辺を支配していた三輪氏の系統の豪族である賀茂氏も存在します。
角氏
都怒足尼の子である田鳥足尼を祖としています。
角鹿氏
孝霊天皇の子孫である建功狭日命を祖としており、現在も角鹿氏の一族である島家(角鹿氏の苗字は島)の分家が角鹿国造家を継承しています。
敦賀市にある中郷古墳群(明神山古墳群、向出山古墳群)は、角鹿氏に関連したものであると考えられています。
笠氏
古くからこの地域を支配していたようで、鴨別命の子孫である笠三枚臣が応神天皇により国造に定められた事が笠氏の始まりとされています。
葛城氏
古くから有力な豪族であるとされ、天皇家とも婚姻関係を持っています。
また、もう一方の葛城氏として剣根命を祖とする系統があり、葛城地方の神社の奉斎などを執り行っていたとされています。
岩城氏(磐城氏)
天穂日命の子である建比良鳥命を祖としています。
忌部氏
天太玉命を祖としており803年には氏名を斎部氏に改めました。
紀氏
朝鮮半島への出兵や蝦夷の反乱の鎮圧など軍事力を持っていたほか、大納言や中納言の官職、歌人や文人など多くの有能な人物を輩出しています。
吉備氏
古くから強力な力を持った豪族であったとされ、岡山県岡山市にある造山古墳や岡山県総社市にある作山古墳など、吉備氏の支配した地域には大規模な古墳などが多く残されています
橘氏
現在の多くの氏姓に繋がるとされる「源平藤橘」に数えられる有力な豪族で、平安時代中期まで多くの公家を輩出しました。
久努氏
伊香色男命の子孫である印播足尼を祖としています。
久米氏
久米氏は大伴氏と同等または配下に位置した氏族で、ある程度の軍事力を保持していたとされています。
巨勢氏
武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を祖としており、大臣や大夫などを輩出しました。
金刺氏
大新川命の子の片堅石命を祖としており、欽明天皇の皇居であった磯城嶋金刺宮の管理などを行っていた氏族だとされています。
熊野氏
饒速日命の子孫である大阿刀足尼を祖としています。
熊野氏は代々熊野本宮大社の禰宜の職についており、後に和田氏を名乗りました。
穴門氏
邇伎都美命の子孫である速都鳥命を祖としています。
県犬養氏
県犬養氏の一族で女官であった県犬養三千代は元明天皇から橘の氏を受け賜り、橘氏の始祖となりました。
江沼氏
武内宿禰の子孫である志波勝足尼を祖としており、加賀市東部の江沼平野に位置する南郷古墳群・吸坂古墳群・黒瀬古墳群の埋葬者は江沼氏の一族であると考えられています。
香夜氏(賀陽氏)
香夜氏はかつてよりこの地を支配していた中彦命を国造に定めたことで始まった氏族です。
国前氏
吉備都命の子孫である午佐自命を祖としています。
佐伯氏
佐伯氏には針間国造であった針間氏が氏を改めて佐伯氏となった系統や、現在の広島県西部を支配していた豪族の佐伯氏もおり、こちらは安芸国造(阿岐国造)であり、厳島神社の神主を代々務めていました。
三使部氏
神祝命の子孫である明石彦を祖としております。
三野後氏(美濃後氏)
出雲大臣命の孫の臣賀夫良命を祖としており、岐阜市にある金神社境内には臣賀夫良命の墓とされる賀夫良命塚があります。
三野後国造は後に三野前国造に吸収されたと考えられています。
三野氏(美濃氏)
開化天皇の孫とされる神大根王を祖としており、岐阜県本巣市にある宗慶大塚古墳は神大根王の墓であるとされています。
三野本巣氏
開化天皇の孫とされる神大根王を祖としており、後に三野全域を統一したと考えられています。
三輪氏
大和国城上郡大神郷の地名が氏の由来となったようで、大神神社を氏神としています。
大物主神の子である大田田根子を祖としています。
山背氏
讃岐氏
神櫛皇子の子孫の須賣保禮命を祖としています。
漆部氏
弟武彦命を祖としており、寒川神社が氏神となっています。
射水氏
武内宿禰の孫である大河音足尼を祖としており、富山県高岡市にある桜谷古墳は大河音足尼の子孫か射水氏一族の墓であると考えられています。
周防氏
加米乃意美を祖としており、山口県柳井市にある柳井茶臼山古墳は周防氏のものと見られています。
十市氏
奈良県橿原市にある十市御縣坐神社が氏神であると考えられていますが、十市氏については不明な点が多くなぞに包まれている氏族でもあります。
出雲氏
天穂日命を初代とする家系で、1340年頃には千家氏と北島氏に分かれ、千家氏は出雲大社教、北島氏は出雲教とそれぞれ宗教法人を作り、双方が出雲国造を名乗っています。
春日氏
小市氏
大新川命の孫の子致命の家系で、物部大小市連を祖としています。
小市氏は後に越智郡に移住して越智氏を名乗るようになりました。
愛媛県今治市にある鯨山古墳は越智氏の墓であるとされています。
上道氏
中彦命の子である多佐臣を祖としており、岡山県赤磐市にある両宮山古墳群は上道氏のものと見られています。
上毛野氏
上毛野国造としては崇神天皇の皇子である豊城入彦命を祖としており、上毛野氏は蝦夷討伐や百済救済の軍の将軍職などを担当しました。
また上毛野氏は古くから大陸との交流も有ったようで、渡来人系の流れを汲む部族もいました。
なお上毛野氏は後述の下毛野氏と共に古くからこの地域を支配ていたヤマト王権に匹敵するほどの強大な豪族で、現在の群馬県を中心に1万基以上の古墳などが作られました。
氏神として赤城山をご神体とする赤城神社を祭っています。
下毛野氏
元々は上記の上毛野氏と同じ毛野氏であったとされていますが、分割されそれぞれ上野国と下野国を支配するようになりました。
崇神天皇の子である豊城入彦命の子孫の奈良別を祖としています。なお、豊城入彦命は下毛野国の隣に位置した上毛野国(現在の群馬県)を支配した上毛野氏の祖でもあります。
下毛野国には摩利支天塚古墳、琵琶塚古墳、吾妻古墳などの大規模な前方後円墳のほか、下野型古墳と呼ばれる独自の形状をした前方後円墳が多く見られ、これらの古墳が下毛野氏のものだと考えられています。
氏神には日光二荒山神社や宇都宮二荒山神社などがあります。
丈部氏
神八井耳命の子孫の伊都許利命を祖としており、麻賀多神社が氏神となっています。
千葉県成田市にある公津ヶ原古墳群や龍角寺古墳群の大規模古墳は丈部氏または同じく印波国造であった生部氏に関連があるとされています。
新治氏
比奈良珠命(比奈良珠命、比奈布命)を祖としており、新治氏に関連する遺跡には葦間山古墳や新治郡衙跡などがあります。
秦氏
当初は豊前国などに拠点を置いていましたが、中央政権に進出するとともに各地に広がっていき、神奈川県の秦野市は秦氏が入植したことからこの名が付いたとされています。
渡来系であることから土木、養蚕、漆器、などの大陸の技術に明るく、淀川の工事や桂川に葛野大堰などの治水工事を行いました。
針間氏
景行天皇の皇子である稲背入彦皇子の系統の氏族です。
本来は佐伯氏でありましたが、播磨国造を任命された際に針間氏に改めました。後に針間別佐伯直となりましたが、戸籍である庚午年籍作成の際に佐伯直となりました。
壬生氏
天津彦根命の子孫である筑紫刀禰を祖としております。
石城氏
天津彦根命の子である建許呂命を祖としており、大國魂神社が氏神となっています。
また、国の史跡である甲塚古墳は、建許侶命を葬ったと伝えられています。
膳氏
膳氏は孝元天皇皇子の子孫である磐鹿六雁命を祖としていおり、朝廷や皇室の料理を担当する役職にあったとされています。
膳氏は後に高橋氏へと氏を改めました。
曾禰氏
一族の有名な人には、小倉百人一首で46番の歌をうたった曽禰好忠などがいます。
蘇我氏
渡来系の一族と関係が深く、日本への仏教の伝来も担いました。
一族の女子を天皇家に嫁がせるなどして天皇家との関係も深いほか、多くの大臣を輩出した一大豪族でのありました。
蘇我氏一族の有名な人物には、蘇我稲目、蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿などがいます。
息長氏
応神天皇の子である意富富杼王を祖としており、息長古墳群は息長氏一族のものであると考えられています。
他田日奉部氏
関東平野東部に存在していた香取海の交通や交易などを支配していたと考えられています。
久都伎直を祖としており、香取神宮が氏神となっています。
多氏
多氏の一部は現在の奈良県に位置する大和国に移り住み、その地を本拠地としました。
多氏からは多くの有力豪族や氏族が子孫として残されており、伊余國造、石城国造、科野国造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造などの国造にもなっています。
多治比氏
丹治比氏、丹墀氏、多治氏、丹治氏などと表記されることも有ります。
多治比氏の一族は右大臣、大納言、中納言などの高官を輩出しています。
大隅氏
大荒木氏
久志伊麻命の子孫である大荒木直を祖としています。
大私部氏
大中臣氏
大中臣氏は祭事や神事を司る神祇官や伊勢神宮の祭主などを平安時代ごろまで世襲していました。
大伴氏
天忍日命の子孫である道臣命を始祖としており、多くの公卿などの高官や歌人などを輩出しており、大伴直大瀧は阿波国造(現在の千葉県南部に位置する安房国)にも任命されています。
後に淳和天皇(大伴親王)が即位すると忌み名を避ける為に伴氏へと氏名を改めました。
大分氏
景行天皇の皇子である豊門別命が始祖とされており、大分氏一族の有名な人物には共に壬申の乱で大海人皇子の軍に参加し活躍した大分稚臣や大分恵尺などがります。
但馬氏
彦座王の子孫である船穂足尼を祖としています。
丹波氏
建稲種命の子孫である大倉岐命を祖としています。
淡道氏
神皇産霊尊の子孫である矢口足尼を祖としています。
筑紫氏
大彦命の子孫である田道命を祖としています。
筑紫米多氏
応神天皇の子孫である都紀女加を祖としています。
中臣氏
天児屋命を祖としており、一族内で有名な人物には中臣鎌足などがいます。
長氏
観松彦伊呂止命の子孫である韓背足尼を祖としています。
津島県氏
初代津嶋国造となった高皇産霊神の子孫である建彌己己命が祖となっています。
土師氏
天穂日命の子孫である野見宿禰を祖としており、垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命が亡くなった際に、野見宿禰が殉死の代わりに埴輪を作成し生きた人のかわりに埋めることを提案し喜んだ垂仁天皇から土師の姓を授かりました。
島氏
天穂日命の子孫である出雲笠夜命を祖としています。
漢氏
東漢氏
大和国の飛鳥地方に拠点を構えていたとされ、大陸からの製鉄技術などにより軍事力を持ち、武器の開発や宮廷の警護などを行っていました。
西漢氏
道氏
初代加賀国造であった素都乃奈美留命を祖としています。
那須氏
藤原道長の後裔である藤原資家を祖としており、須藤氏を称した後に那須氏となりました。
那須氏一族の有名人として那須与一などがいます。
日下部氏
日下部氏は日本の各地にいたとされなぞの多い氏族ですが、後にいくつかの武家家系が日下部氏の末裔であるとしているため、各地に配置された軍事集団であったと見られています。
能登氏
初代能登国造で有った孝霊天皇の子である彦狭島命を祖としています。
波多氏
武内宿禰裔の末裔の波多氏は、武内宿禰の長男である波多八代宿禰を祖としており、大和国高市郡波多郷を本拠地としていた豪族です。
意富富杼王の末裔の波多氏は、応神天皇の孫である意富富杼王を祖としており、大和国高市郡波多郷に由来があると考えられています。
この波多氏は後に羽田氏に改められました。
波多国造の波多氏は、現在の高知県西部を支配しており波多国造でもありました。
この波多氏は天韓襲命を祖としています。
そのほかの波多氏として、日本武尊の末裔の系統、百済国からの渡来人であった佐布利智使主の子孫の系統、坂上志拏の三男である阿良を祖とする系統が有ります。
伯岐氏(伯耆氏)
兄多毛比命の子である大八木足尼が初代の伯岐国造と任命されたことから大八木足尼を祖としています。
斐陀氏
瀛津世襲命の子のである大八埼命を祖としています。
肥氏
神武天皇の皇子である神八井耳命または、その子供である健磐龍命を祖としています。
尾張氏
天火明命を祖としており、天皇家との結びつきが有るなど、ヤマト王権の中でも大きな権力を誇っていました。
また、平安時代後期まで熱田神宮の大宮司、平安時代後期以降は権宮司を代々務めています。
百済王氏
百済国は当時の倭国と同名を組んでおり、百済国の王子である「豊璋王」「禅広王(善光王)」を人質として倭国に送っていました。
なお、豊璋王は唐により滅ぼされた百済国復興のために朝鮮半島に戻りましたが、白村江の戦いで破れ唐にとらえられました。
百済王氏は陸奥国や出羽国など東北地方の統治や、蝦夷の討伐などの要職を担っていました。
百済王氏からは常陸国の税務長官などを担った百済氏などの氏族も輩出しています。
品治氏
若角城命の子孫である大船足尼が吉備品治国造に任命されたことで、品治氏の祖となっています。
風早氏
伊香色男命の子孫である阿佐利命が初代風早国造となり、風早氏の祖となっています。
物部氏
饒速日命の子孫である「物部十千根」を祖としており、西暦686年の朱鳥元年頃には本家筋が物部氏から石上氏に改めています。
平群氏
武内宿禰の第4子である「平群木菟」を祖としています。
穂積氏
穂積氏の一族には百済に派遣された穂積押山、征新羅副将軍に任命された穂積祖足などがおり、穂積氏から分かれた氏族には采女氏や藤白鈴木氏などがあります。
豊氏
天穂日命の子孫である宇那足尼を祖としています。
凡河内氏
天津彦根命の末裔、天穂日命の末裔、後漢孝献帝の血筋を引いたの渡来人の3系統の祖があると考えられています。
末氏
天津彦根命の子孫である建許呂命の子「大布日意彌命」を祖としており、千葉県富津市にある内裏塚古墳群は末氏関係者の物と考えられています。
牟義都氏
なお、牟義都国造は牟宜都国造や身毛津国造などと表記する事も有ります。
牟義都氏の祖は景行天皇の子である大碓命と神大根王の娘の弟比売の間に出来た「押黒弟日子王」としており、牟義都氏の表記も「牟下都氏」「牟下津氏」「牟宜都氏」「牟宜津氏」など様々有ります。
牟邪氏
書物「古事記」では孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命が祖となっています。
倭氏
神武天皇が大和を征服した「神武東征」の際に水先案内などを行い、倭国造に命じられたとされています。
奈良時代頃に国名が倭国から数回にわたり改名されると、それに伴い氏族名も大倭氏、大養徳氏、大和氏に変わりました。
和気氏
後に「和気真人」「和気宿禰」「和気朝臣」などの氏姓となりました。
和邇氏(和珥氏)
檜前氏
百済からの渡来人である阿知使主の末裔が檜前氏になったとされています。
羽咋氏
垂仁天皇の皇子である石衝別王を祖としています。
諸県氏(諸縣氏)
景行天皇の末裔である「老男」を祖としているようで、老男の子供である「牛諸井」が諸県君を命じられたことで元となっています。
都祁氏
神武天皇の皇子である神八井耳命を祖としているようです。
都佐氏(土佐氏)
神武天皇の妻である「媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライススヒメ)」の母である「玉櫛媛」の父親である「三島溝橛耳」の末裔の「小立足尼」を祖としています。
筑波氏
忍凝見命の子孫である阿閉色命を祖としており、茨城県つくば市にある八幡塚古墳は初代筑波国造であった阿閉色命の墓だといわれています。
筑波氏は茨城県つくば市筑波にある筑波山神社を氏神としており、代々筑波氏が神職を担っていました。
釆女氏
主に天皇や皇后の身の回りの世話をする女官である「采女(うぬめ)」を統括していたとされています。
淡海氏(近江氏)
天足彦国押人命を祖としており、後に琵琶湖東岸地域を支配していた安国造(淡海安国造)を合併して滋賀県全域にわたる近江国を支配したとされています。
諏訪氏
藤原氏
奈良時代には「藤原南家」「藤原北家」「藤原式家」「藤原京家」の藤原四家に別れ、鎌倉時代には藤原北家から「近衛家」「鷹司家」「九条家」「二条家」「一条家」などの有力氏族へと分裂しました。
武蔵氏
武蔵氏は出雲国造と同系統の氏族が現在の地に移住し大宮氷川神社を祭ったとされ、代々大宮氷川神社の祭事を執り行っていました。
中原氏
大外記、少外記と呼ばれる職を世襲したほか、学問である明法道と明経道を司どっていました。
宗像氏
宗像氏は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社をまとめた、宗像大社を氏神として祭り、宗像大社神主や大宮司を代々受け継いでいました。
水沼氏(水間氏)
筑後国一宮である高良大社や、福岡県久留米市にある御塚・権現塚古墳とも関係があるとされています。
卜部氏
卜部氏には不明な点も多いようですが、五十手命を祖とする伊豆系統、天児屋根命12世の孫にあたる雷大臣の子の真根子を祖とする壱岐系統、対馬県直の一族で建弥己己命を祖とする対馬系統の流れがあります。
筑紫氏
筑紫氏は渡来人との交流も深く、新羅に奪われた地域を奪還しに朝鮮に出兵をしようとしていたヤマト王権軍に、新羅に協力した筑紫君磐井が起こした反乱である「磐井の乱」でも知られています。
福岡県筑紫野市の筑紫神社にも関連があるとされています。
高麗氏
高句麗は668年に唐に滅ぼされたため、高句麗の人達は日本に避難をしてきました。その人達が朝廷の命令で武蔵国に集められ、その地域が高麗郡と名づけられました。
高麗郡に済む人達のリーダーには高句麗の王族であった高麗王若光がおり、高麗王若光が亡くなると霊廟が建てられそれが高麗神社となりました。
高麗神社の宮司は代々高麗王若光の子孫である高麗氏が務めています。
宇治土公氏
宇治土公氏は代々邸宅の敷地内にあった屋敷神として猿田彦命を祭っていましたが、明治になり屋敷神を改めて猿田彦神社としました。
荒木田氏
社家でもあり明治時代まで代々伊勢皇大神宮(伊勢神宮内宮)の祠官を世襲していました。
度会氏
壬生吉志
近くを流れる荒川の脇には鹿島古墳群があり、一連の古墳は生吉志氏に関連したものという説が有ります。
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